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2009年11月06日

感謝 御礼!

   今日、「モンゴル音楽祭2009 IN 鎌倉」
当日を向かえました。

   昨年に引き続きいらしてくださった方も多かったのですが
一様に今年の方が、よかったよと言って下さいました。

   皆さんに喜んで頂き、苦労した甲斐もありました。

   特に良かったのは、まつざき幸介さんとモンゴル人
歌手、ハンダーさんのデュエット、「君住む街」でした。

   なにかトレンディードラマの主題歌のようで、感動しました。

   モンゴル音楽祭が生んだ大ヒットソング・・・  
   こんな予感もしたくらいです。

   裏方も20人位のボランティアさんが、正に手弁当で
手伝って下さり、本当に助かりました。

   娘のジョイも観に来てくれました。
(ほんとに嬉しいことです。)

   リオさんの「ほたる」の歌詞ではありませんが
「つながってる~♪ つながってる~♪ つながってる~♪」
という感じで・・・

   やっとゆっくり眠れそうです・・・

   みなさん!  ありがとうございました!

   おやすみなさい・・・ZZZ

   PS:松尾市長さんも駆けつけてご挨拶いただいたのですが
      心なしか、一番拍手が多かったような気がしました・・・
      市長さんありがとうございました。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:36 | コメント (0) | トラックバック

2009年10月06日

鎌倉残照

   鎌倉市観光協会の後援ソングである「鎌倉残照」は
歌手まつざき幸介さんの歌であります。

   歌唱力抜群の実力派歌手で、昨年に引き続き、
今年も「モンゴル音楽祭2009 IN 鎌倉」に出演して
下さることになりました。

   まつざき幸介さんには、鎌倉後援会と横浜後援会が
あり、300人近いファンをもっておられます。

   そこで今日は、まつざき幸介ファンクラブの皆さんに
「モンゴル音楽祭2009 IN 鎌倉」の案内を送らせて
頂こうと、打ち合わせ会を行いました。

   12月に発売する新曲のレコーディングがあったので
夜、10時30分という遅い時間からの打ち合わせになりましたが
まつざき幸介さんも、モンゴル音楽祭を楽しみにしていて
くださっており、充実した打ち合わせができました。

   コンサート当日は、モンゴルの歌手ハンダーさんと
まつざきさんの持ち歌、「君すむまち」のデュエット行う予定で
リハーサルを重ねて頂いているようです。今から楽しみです。

   皆さんも是非、観に来てくださいね。 バイララ バイアルタエ!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:06 | コメント (0) | トラックバック

2009年10月01日

モンゴル音楽祭 2009 IN 鎌倉の成功に向けて

   今日は、モンゴル音楽祭の打ち合わせをしました。

   今回、司会をお願いした「安川有里」さんは、ご存知
市議の安川健人さんの奥様であります。以前、テレビで
歌番組の司会をされていました。

   鎌倉市とモンゴル国ハラホリン市の交流の話や
両国800年に渡る歴史の話に触れ、積極的にお手伝い
頂けることとなりました。

   夜には、在日モンゴル留学生会会長のゲレルトさんと
両国にあるモンゴルレストラン「ウランバートル」で打ち合わせ
です。

   ゲレルトさんは、東京大学経済学3年生です。

   ゲレルトさんも両市の交流を知り、積極的にお手伝い
頂くことを約束してくれました。

   チケットの販売が、心配ですが、多くの皆様のご協力
により、必ず成功することを信じて進んで行きたいと
思います。皆さんも是非いらして下さい。

   チケットは、下記でお求めになれます。
   鎌倉芸術館チケットセンター  0467-48-4500
   島森書店大船店         0467-46-3841
松林堂書店            0467-22-0846
湘南リビング新聞社       0466-27-7411
一般 4,000円  学割 3,000円

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:01 | コメント (0) | トラックバック

2009年09月23日

Rio

今日は、「モンゴル音楽祭2009 IN 鎌倉」に
ゲスト出演をお願いしたRio( リオ )さんのコンサートが、
千葉県旭市であったので、打ち合わせを兼ねて
行ってきました。

   それにしても千葉県は広大です。鎌倉から旭市まで
車で3時間もかかってしまいました。

   さて、Rioさんは今年、8月に行われた「24時間テレビ」
で、「ホタル」を熱唱し、最近マスコミに取り上げられることが
多く、なってきました。

   モンゴル側の出演者とどういうふうにコラボレーション
するか、考えて頂くことになり、今から楽しみです。

   「きっと 繋がってる~♪」「きっと きっと きっと・・・」
と言う、歌詞の「ホタル」は、人間は一人ぼっちののように
思える時も、必ず誰かと繋がっているんだよと言う歌です。
何回、聞いても良い歌です。

   皆さんも是非、聞きに着て下さいね!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:24 | コメント (0) | トラックバック

2009年09月21日

モンゴル音楽祭 2009 IN 鎌倉 その2

   モンゴル音楽祭 2009 IN 鎌倉のホームページ
ができました。

   「モンゴル音楽祭 鎌倉」で検索するか下記アドレスに
アクセスして下さい。

http://homepage2.nifty.com/kamakurasi/TOP-mongoru.htm

   チケットのお申し込みは、下記メールに
氏名、ご住所、電話番号をご記入の上ご返信下さい。

koji1788@kamakuranet.ne.jp

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:14 | コメント (0) | トラックバック

2009年09月18日

モンゴル音楽祭 2009 IN 鎌倉

   センバイノー!

   昨年に引き続き、今年もモンゴル音楽祭を
開催することになりました。

   「モンゴル音楽祭 2009 IN 鎌倉」

   開催案内
         ・11月6日、金曜日
         ・18:30開演,(開場18:00)
         ・鎌倉芸術館 小ホール
         ・全席指定 4,000円  
         ・学生割引(18才未満) 3,000円

   出演者
         ・ハンダー (歌手)
         ・バトオチル(ホーミー歌手、馬頭琴)
         ・バトエルデンネ(馬頭琴)
         ・ボロルマー(中型馬頭琴)
         ・オユンガ(馬頭琴)
         ・ムングン(馬頭琴)
         ・モンゴリアン・アンサンブル(女性歌舞団8名)

    ゲスト
         ・沢木順・・・鎌倉在住、劇団四季で「オペラ座の怪人」等
                 主役を務める。
         ・Rio・・・本年24時間テレビで、新曲「ホタル」を歌う。
              各局ラジオ番組パーソナリティーを努める。
         ・まつざき幸介・・・鎌倉市観光協会後援ソング「鎌倉残照」
                    で、お馴染み。昨年に引き続き2度目の登場。
         ・鎌倉櫻太鼓・・・太鼓グループ和楽会「昇」に所属。
                   毎年、ドイツ公演を続けている。

   チケット取り扱い所
         ・鎌倉芸術館チケットセンター  0467-48-4500
         ・島森書店大船店         0467-46-3841
         ・松林堂書店            0467-22-0846
・湘南リビング新聞社       0466-27-7411
         ・実行委員会事務局       0467-24-8000

   草原を駆け抜ける 天空の風 魂の歌を  あなたに・・・

   是非、観にいらして下さい。お待ちしております。バイララ バイルタエ! 

投稿者 TAKAHASI_koji : 21:24 | コメント (0) | トラックバック

2008年08月09日

モンゴル音楽祭2008 IN 鎌倉 大成功!

満員御礼!

   涙を流し、とても良いコンサートでしたと
感動してくださった方もおられ、本当に大成功
でした。

   ご来場者の皆さん、スタッフ関係者の皆さんに
心から感謝申し上げます。

   ありがいとうございました。

   それにしても、正直、疲れました。
でも、終わってホットしています。
   今日は、少し枕をたかくして眠れそうです。
ゆっくり休みたいと思います。 
お休みなさいZzzzz

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:25 | コメント (0) | トラックバック

2008年08月04日

奇跡は起こる!

   センバイノー!

   今日は、「モンゴル音楽祭2008 IN 鎌倉」開催直前
の実行委員会が、開催されました。

   前回の実行委員会の際、143枚も売れ残っていたのに
今回は、ナッ!ナッ!ナント!驚く無かれ、後、11枚になって
いました。

   これを奇跡と言わず何と言うか!!!

   でもホットしました。皆さん本当にご苦労様でした。

   あと、数枚ですが、これも当てがあるとのこと明日、
明後日で完売しようと、力強く誓い合いました。

   後は、会場満席の中、良い音楽を聴かせてくれる
ことを祈るのみです。

   最後の最後まで気を抜かず頑張るぞー!オー!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:49 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月25日

モンゴル

   今日は、久し振りにモンゴル大使館に行ってきました。

   1等書記官のエル・デネ・ダワーさんと面会し、
「モンゴル音楽祭2008 IN 鎌倉」コンサートにいらして
頂くよう、お願いしました。

   残念ながら、暴動が起きた先のモンゴル総選挙の関係
もあり、ジクジットー大使は、現在モンゴルに帰国中で、
出席できないとのことでしたが、ダワーさんが代理出席して
下さることになりました。(よかったです。)

   さて、そのモンゴル総選挙での暴動の件ですが、
モンゴルは、1992年、ロシアのペレストロイカと次期を
同じくして、民主国家に生まれ変わりました。

   そのため、第1回目の総選挙から、国連選挙監視団の
監視下、選挙が執行されました。
今回第3回目となる総選挙でしたが、
この度も国連選挙監視団が入ったそうです。

   しかし、選挙で不正が行われたとのことで、
暴動に発展しました。様々な不正が行われたようですが、一番
問題視されているのは、票の読み違いだそうで、
Aさんの票をBさんの票と故意に誤カウントしていたようです。

   まだ、投票用紙は廃棄していないので、再集計も可能です。
選挙後、結果に疑義を申したてた、モンゴル民主党は、
議会をボイコットし、未だに新議員の承認が行われていないそうです。

   以前、アメリカ大統領選で、ブッシュとゴアの戦いに
おいて、フロリダ州の開票作業で、同じような不正があった
のでは?と報道されました。

   どの国でも選挙違反は、枚挙にいとまがありません。

   しかし、選挙違反は、民主主義の根幹を揺るがす
重大な犯罪です。

   モンゴルが、真の民主国家になれるか、
世界が注目しています。
速やかに、事実を国内外に明らかにすべきでしょう。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:36 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月23日

モンゴル音楽祭実行委員会

   今日は、モンゴル音楽祭の実行委員会が開催されました。
夫々、チケットの販売状況を報告しあったのですが、
見込みを大きく割り込んで、143枚の残席があることが
確認されました。
   
   あと2週間、完売できるでしょうか・・・

   8月1日には、鎌倉市の広報紙、鎌倉朝日、江ノ電沿線新聞
湘南よみうり、と掲載されますが、どれほど反響があるか・・・

   考えて見れば、3週間で442枚販売したのだから、皆で
力を合わせてやれば何とかなりますよね!

   よーし!頑張るぞー!オー!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:26 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月08日

モンゴルタウン

チャリティーコンサート!!
鎌倉市・モンゴル、ハラホリン市友好記念
「モンゴル音楽祭2008 IN 鎌倉」

8月9日 土曜日 午後2時から  鎌倉芸術館小ホールにて

 出演者は、ネルグイ(オルチンドー、民謡歌手)
        ガンツルガ(ポップス歌手)
        バトオチル(ホーミー・馬頭琴奏者)
        バトエルデネ(馬頭琴奏者)
       モンゴリアン アンサンブル ティテム(女性歌舞団9名)

   ゲストは、麻倉未稀(鎌倉在住歌手)
         まつざき幸介(歌手「鎌倉残照」)
         長谷川友二(鎌倉育ちのギタリスト)
         極楽寺睦囃子連(2007年鎌倉ユネスコユース賞受賞)
     
   全席指定で5,000円、18才未満4,000円

 チケット取扱所 鎌倉芸術館チケットセンター 0467-48-4500
           島森書店大船店        0467-46-3841
           松林堂書店          0467-22-0846
           湘南リビング新聞社     0466-27-7411

    主催 : 「モンゴル音楽祭2008 IN 鎌倉」実行委員会
          0467-24-8000
 
   センバイノー!( こんにちは!)

   相変わらず、「モンゴル音楽祭2008 IN 鎌倉」の
ピーアールに奔走してます。

   午前中は、藤沢市長の海老根さんを訪問し、
大相撲藤沢場所の代表世話人をご紹介して頂きました。

   夕方は、このコンサートの名義後援を頂いた
モンゴル商工会議所日本代表のウルジ女史が
経営する「モンゴルタウン」に行ってきました。

   ウルジさんは、この度、在日のモンゴル人、
2,000人を束ね、モンゴル人会の会長さんに
就任したそうです。

   そして、在日のモンゴル人がよく利用する
サイトに、「モンゴル音楽祭2008 IN 鎌倉」開催
のニュースを掲載して下さる約束をしてくれました。
もちろん、お店にポスターを貼り、チラシを置いても
くれました。

   当日も3名でご臨席頂けるそうで、一人でも
多くのモンゴルの方に観に来て頂きたいと思います。

   コンサートが成功しますように・・・   

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:29 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月27日

モンゴル音楽祭2008 IN 鎌倉 

   センバイノー!(こんにちは!)

   久し振りのモンゴル通信です。

   鎌倉市・ハラホリン市の友好親善チャリティーコンサートを
8月9日 土曜日 午後2時から  鎌倉芸術館小ホールで
行うことになりました。

 出演者は、ネルグイ(オルチンドー、民謡歌手)
        ガンツルガ(ポップス歌手)
        バトオチル(ホーミー・馬頭琴奏者)
        バトエルデネ(馬頭琴奏者)
       モンゴリアン アンサンブル ティテム(女性歌舞団9名)

   ゲストは、麻倉未稀(鎌倉在住歌手)
         まつざき幸介(歌手「鎌倉残照」)
         長谷川友二(鎌倉育ちのギタリスト)
         極楽寺睦囃子連(2007年鎌倉ユネスコユース賞受賞)
     
   全席指定で5,000円、18才未満4,000円

 チケット取扱所 鎌倉芸術館チケットセンター 0467-48-4500
           島森書店大船店        0467-46-3841
           松林堂書店          0467-22-0846
           湘南リビング新聞社     0466-27-7411

    主催 : 「モンゴル音楽祭2008 IN 鎌倉」実行委員会
          0467-24-8000
 
    後援 : 鎌倉市
          鎌倉市教育委員会
          在日モンゴル大使館
          鎌倉商工会議所
          モンゴル商工会議所日本
          鎌倉市観光協会
          鎌倉大仏殿 高徳院
          伝統文化を育てる会
          JCN鎌倉
          鎌倉朝日新聞社
          江ノ電沿線新聞社
          湘南よみうり新聞社
          湘南読売会
          湘南リビング新聞社
 

   当日は、鎌倉児童ホームの子供達を招待させて頂いております。
  また、収益金は全て、福祉施設に寄付をすることを実行委員会の
  規約に定めております。
    主旨ご理解頂き、大勢の皆様のご臨席をお待ちしております。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:45 | コメント (0) | トラックバック

2008年05月04日

ハワリンバヤル

   センバイノー!

   久し振りのモンゴル通信です。
今日は、第10回になるハワリンバヤル(春祭り)に行って
きました。
   モンゴル人留学生が中心になり、行っているお祭りで
在日モンゴル人が、4,000人も集まり、2日間の延べ来場者
は、10,000人も来るそうです。
   会場は毎年、練馬区の光が丘の駅前にある光が丘公園です。
新宿から地下鉄大江戸線に乗り換え22分、終点が光が丘駅です。
   初めて行きましたが、駅前が綺麗に整備され、実に住み安そうな
まちでした。

   12時30分、主催者である学生援護会の会長さんのご挨拶に
続き、在日モンゴル大使のジクジットさん、練馬区の国際交流
課長さんの挨拶で幕開けしたお祭りは、夕方まで続きました。

   ステージでは、昨年ハラホリンのエルデネ・ゾー寺院ご住職
一行がお見えになった際のレセプションに出演してくれた
「アジナイホール」のコンサートや先日紹介した、日本人と結婚
した奥様達で結成したモンゴリアンアンサンブル「ティテム」の
コンサートが行われとても楽しかったです。

   会場中に出ていた出店、モンゴル料理の「ボーズ」(水ギョーザ)
をはじめ沢山のモンゴル料理の屋台にお祭り定番の焼きそば、
焼き鳥、ジュ-スにビールと大変賑やかでした。

   8月には、モンゴリアンアンサンブル「ティテム」の演奏や
民族舞踊を皆さんにも見て頂けると思います。
楽しみにお待ちください。

   
  

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:27 | コメント (0) | トラックバック

2007年11月27日

発展突如国?

   センバイノー!
お元気ですか?間が開きましたが、モンゴル通信です。

   前回、モンゴルに行ったのが、5月でした。
6ケ月振りに行って驚いたのですが、新しいビルが到る所に
出来上がっていました。また、新しいビルやマンションも
沢山建設が、始まっていました。

   初めてハラホリン市に行った時は、シティータクシーで
行ったのですが、タイヤがパンクしたりしたのも有り、9時間
掛かりました。そして、前回5月に行った時は7時間で、
今回行った時は、なんと5時間で行く事ができました。
   道路が、行く度にどんどん良くなっており、次回行く時には
多分、3時間で行けるようになっていると思います。

   実にモンゴルは、発展突如国であります。
半年で、この変わりようです。10年後にどうなっているか
本当に楽しみです。

   日本とモンゴルが、真の国際パートナーとしてタッグを
組めるよう、自分ができることを着実にやって行きたいと
思います。

   ダラーオールジー!(また、会いましょう!)
   

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:39 | コメント (0) | トラックバック

2007年11月21日

モンゴリアンダイエット

   モンゴルに居る間になんと、5キロも痩せました。
これぞ、究極のモンゴリアンダイエットであります。

   モンゴルには、昔からゴールデンベリー
(ブルーベリーの仲間)で作る「サジージュース」と言う
飲み物があり、飲むと身体が熱くなり、脂肪が
燃焼し、痩せるそうです。しかし、とにかく苦く
そのままでは、ちょっと飲めませんね。

   こういう話を書き込むと、さもサジージュースで
痩せたようですが、実は、9日の夜、チンギスハーン
国際空港に到着し、翌土曜日、ハラホリンに向かい
到着と同時に、モンゴルウォカ(約40度)の一揆飲み
攻撃に合い(これは、歓待を受けている証拠ですが・・・)
帰りのギリギリまで、飲み続け、とうとう潰れてしまい
ました。
   そのため、以後3日位、飲むのも食べるのも
できず結果、5キロも痩せてしまったという、
ドジな話であります。

   これで、2回目であります。3度目の正直、
今度は命が危ないかもしれませんね。
注意しなければ・・・

   あっそれはそーと!サッカーのオリンピック出場
が、決定しましたね。嬉しいです。オシム監督も早く
よくなってほしいです。きっと、この良報を聞き
快方にむかうでしょう。ガンバ!

   それでは、また、明日!マルガーシ オールジー! 

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:39 | コメント (0) | トラックバック

2007年11月20日

白銀のモンゴルからセンバイノー!

   センバイノー!
昨日、モンゴルから帰国いたしました。
行っている間充、ズーッと好い天気だったのですが
気温は、マイナス5度位で、とうとう、帰国の前夜
一面の雪景色となり、本格的な冬を迎えました。
   家に帰ってテレビを点けると「あいのり」が
やっていて、丁度、モンゴルの初夏の下、恋愛談義
に花が咲いていました。
   
   さて、今回は、ハラホリン市の小学校に、鎌倉の
小学校で使用していたパソコンを寄贈するために行って
きました。
   どの小学校でも大変喜んで頂き、本当に良かったです。

   来年は、3校の小学校の代表と3人の校長先生が
鎌倉を訪問したいとの宿題を頂き帰ってきました。
   着実に交流が、進んでいる事を肌で感じた今回の
訪問でした。

   本日よりしばらく、モンゴル通信として滞在記を
お伝えいたします。どうぞお楽しみに!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:47 | コメント (0) | トラックバック

2007年10月10日

互いに25代目!!

   壮絶な9月議会最終日から1夜明けて今日は、
モンゴル人墓地での墓前法要を「常立寺」で行いました。
   私も同行させて頂きました。
墓前で、エルデネ・ゾー寺院のご住職一行が、お経をあげて
ブルーの布を墓地に巻きつけ、お花を上げ、牛乳を撒きました。
   モンゴルでは、白いものは、神聖なものとされ、お墓に
牛乳を撒くのが、慣わしとなっています。
   その後、本堂に上がらえて頂き、「常立寺」の和尚さんが
お経をあげていただいている中、お位牌のお参りをさせて
頂きました。
   そして、庫裏でお茶とお菓子を頂き、暫しの間、
談笑の時を共に過ごさせて頂きました。
   その時、ハンドスレン・バーサスレンご住職から
「750年の永きに渡り、お墓を守り続けて頂いたことに
心から感謝致します。」と永倉ご住職に伝えられたとき
えも言えない感動が、ジワーット湧いてきました。
   そして、帰りの時、山門前で記念撮影を撮り、
お別れのご挨拶の際、ひょっと、バーサスレン住職が
代25代目の住職であることが、分かると、
なんと永倉住職も25代目であるとの話になり、
縁の不思議を目の当たりした1日でした。
感謝  合掌

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2007年10月05日

センバイノー ! 久し振りです !

久し振りのモンゴル通信です。
ハラホリン訪問記が途中になってしまいましたが、
緊急報告がありますので、お知らせ致します。

   実は、5月にハラホリンに伺った際、
世界遺産のお寺、エルデネ・ゾー寺院を訪問したの
ですが、ハンドスレン・バーサスレン住職と面会し、
ご住職が、鎌倉に訪問して下さることを約束して
きました。

   その約束を実現する時が、いよいよやってきました。
来週の月曜日10月8日から15日までの日程で
お見えになります。

  5月にハラホリンに行ったメンバーで受け入れ会議
を度々開き、様々な受け入れ企画を立てました。

  1つは、「モンゴル仏教画展」であります。
10月10日から13日までの4日間、
(午前10時から午後6時まで)鎌倉駅西口の
横須賀線沿いにある焼鳥屋の「鳥秀」さんの2階に
ある「ギャラリー萩」で行います。
  社会主義体制下では、宗教が禁止されていましたので
当然、仏教画も禁止されていました。
1992年民主化以降、改めてその画法の研究が再開され
ようやく体系が整いつつある状態にあります。
  たまたまでわありますが、ハラホリンで日本語教室を
経営しているバドさんの弟さん「ゾリゴ」がその仏教画の
専門家でありましたので、「ゾリゴの個展」として企画致
しました。モンゴル仏教、ラマ教を少し立体的に感じて
頂ければ幸いです。
   是非、お時間のある方は、覗いて見てください。

   2つ目は、「元寇」戦没者の合同慰霊祭であります。
日本人に限らず、モンゴル人(元)や中国民族、朝鮮民族等々
「元寇」の際、戦没した全ての方々の霊の鎮魂のために
建立された「円覚寺」において、12日午前11時から
仏殿において、足立大進管長様ご導師の下、慰霊法要が
行われます。在日本モンゴル大使や石渡市長にもご臨席
賜り、挙行する予定です。興味のある方は、是非ご見学
下さい。

   3つ目は、1回目と2回目の「元寇」の間に、クビライ皇帝の
親書を携えて、鎌倉を訪れた5人のモンゴル人、国使達は、
その親書の内容をモンゴルの属国になれと解釈した
時の執権、北条時宗の命で、江ノ島の袂の処刑場で、斬首され
殺されてしまいました。両国間の悲しい歴史の記録であります。
   処刑された5名は、その後、龍口寺の頭塔である「常立寺」
に埋葬され、今日に至っております。
   両国の国交を結ぶため、正に命を賭け、来日した先人達の
ご遺徳を偲び、10日の午後1時30分から「常立寺」
(湘南モノレール江ノ島駅徒歩1分)のモンゴル人墓地の墓前に
おいて、慰霊法要を行います。こちらも興味のある方は、是非
ご参加ください。

   以上3つの企画でありますが、鎌倉とハラホリンの友好が
日本とモンゴルの友好関係の礎になると信じて頑張ります。

   ハンドスレン・バーサスレン住職ご一行が、十分楽しんで
頂ける様、ホスト役を務めていこうと思います。
皆さんの鎌倉漫遊記は、後日お知らせ致します。
どうぞお楽しみに!

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2007年06月14日

センバイツァーノー!(皆さん今日は!)

   2日酔いで苦しんでいると、そこに鬼が現れました。
よく見ると、本田議員が、仁王立ちしているではありませんか。
「小学校に行くために来たんだから、早く、行くぞー!」
「午前中だけ、がんべんじでぐだざい」
「だめ!早く!」と首根っこを掴まれバスまで引きずって連れて
行かれてしまいました。
   気持ち悪かったのですが、観念してバスに乗り込み1校目
の小学校に向かいました。市役所の隣にある小学校で、全校で
1200人も生徒が居るマンモス校です。
   我々が着くと、童謡の「ふるさと」を流し、全校総出で迎えて
くれました。その歓待振りに、気持ち悪いのに、胸がジ~ンと
なり、やっぱり来てよかったなーとつくずく思いました。
   歓迎の式典は、広い校庭で行われました。
校庭の真ん中に赤いジュータンを敷き、椅子を置いて我々を
迎えてくれました。
子供達による、民族舞踊の披露に、再び胸がジ~ン、目に
砂が入った振りをして、涙を拭っていました。子供達による歓迎の
演技に続き、校長先生のご挨拶です。途中で、この学校の初代
校長先生を紹介し、その先生からもご丁寧に歓迎のお話を頂き
ました。
   校長先生のご挨拶が終わると、訪問団からのお礼の挨拶です。
本来、訪問団団長の本田議員から行うのが筋ですが、朝、遅刻した
罰ということで、私が、挨拶をすることになりました。

   「センバイツァーノー!(皆さん今日は!)」
   (2日酔いで、喉が張り付いてオエ~ウ!)

   「私たちは、日本から、皆さんに会いに来ました。」
   (本当に気持ち悪いよ!)

   「今日は、皆さんに会えて、とても嬉しいです。」
   (も~かんべんしてよ!)

   「9月に新しい学年が、始まる頃には、約束したパソコンが
    全部揃っているように、頑張りたいと思います。」
   (オーエ!もうだめ)

   「バイララ!(ありがとう)」

   生きてて良かった。ホッ!
   この続きは、また明日、バイヤルタエ!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:20 | コメント (0) | トラックバック

2007年06月12日

功労賞

    エルデネ・ゾー寺院で、消防車の税の減免を
巡り、ごたごたがありましたが、直ぐに対応することも
できず、また、消防車が、いつ着くかも分からず、一応
日程に沿って、世界遺産視察を進めることとしました。
   エルデネ・ゾーを出ると、次に向かったのは、
ハラホリンを一望できる、山の上の見晴らし台であります。
風の国モンゴルらしく、ものすごく風が吹いていました。
そして、そこには、世界地図のオブジェがあり、かつて
モンゴルが、世界を制覇した時の国土が、緑色に塗られ
描かれていました。中国や韓国も勿論、かつては、
モンゴル国であった訳です。
    その前で、記念撮影を行い、次に亀石を見学し、
最後に「ボー石」をみました。「ボー石」は、男性の生殖器
の形をした1.5m位の石像です。そこに跨ると子供を
授かると言うので、ヨーロッパからもその石に跨りに
わざわざやって来る人がいるそうです。
    われわれのグループからも、1組のご夫妻が、
挑戦しました。無事お子さんを授かったら、今度は、
3人で、お参りに来ると言ってました。
    その後は、歓迎の会食会です。宿泊先から20分
程バスで移動したゲルレストランで、行われました。
    学校の先生や医療関係者、経済会の方、
役所の方と大勢お集まり頂き、我々も別れて各テーブル
に座りました。私は、只一人、市長さんや議長さん、
副議長さん達が座るテーブルになってしまい、少々
不安でしたが、それぞれのテーブル毎にトクトーイ(乾杯)
と会食会は始まりました。
    直ぐに、子供達による民族舞踏や馬頭琴の演奏
が、始まり、和やかな雰囲気で、会食会が進みました。
子供達の出し物が、一段落した頃、ニャムドラム市長が
マイクを取り、挨拶を始めました。挨拶の後、本田議員と
私が呼ばれ、ハラホリン市の功労賞の盾とバッチを
頂きました。予期せぬ出来事に胸が熱くなりました。
    その後は、もー大変、おめでとう、おめでとう
の嵐にモンゴルウォカの一揆飲み大会です。ベロベロ
になった頃、何か挨拶しろと言われ、挨拶では無く
歌を歌います。と言って、風の国モンゴルに捧げる歌
「千の風になって」を歌いました。
    会食会の最後は、ディスコパーティーです。
酔っ払ってフラフラになりながらのダンスで、ギブアップ
状態でしたが、モンゴル人も日本人も入り乱れ楽しい
一時は、終わりました。
    倒れこむように、宿泊先のゲルに戻り、そのまま
着替えもせずに眠ってしまいました。朝、目が覚めると
二日酔いどころの騒ぎではありません。
    う~う・・・ぎもじわるい~!
今日は、小学校回り、こんな体調では、いけないよ~!
午前中だけ、お休みさせてくださ~い!
ゲルのベットで寝ていると、そこに鬼が現れました・・・?

   この続きはまた。バイヤルタエ

投稿者 TAKAHASI_koji : 11:06 | コメント (0) | トラックバック

2007年06月04日

世界遺産

   ハラホリン市には、「オルホン渓谷の文化的景観」と
して、2005年に世界遺産に指定された遺跡が、点在
しています。今回のハラホリン訪問の目的の1つが、
世界遺産視察であります。
   そして、その中でも中心的なコア史跡、エルデネ・ゾー
と言う寺院への訪問は、800年前の元寇の歴史に遡り
意義ある視察になると考えていました。
   それと言うのも以前、エルデネ・ゾーを訪れた時、
ご住職から鎌倉を訪問したいとのオファーを頂いていたので
この度の訪問の際、詳細を決めさせて頂きたいと、事前に
お伝えしてあったからであります。
   しかし、寺院を訪れても、ご住職は不在とのこと
またまた、肩透かしの予定変更であります。
   
   800年前、1回目と2回目の元寇の間に、5人の
モンゴル人が、鎌倉を訪れ、北条時宗に皇帝からの親書を
手渡しました。しかし、日本はモンゴル(元)の属国になる
ようにとの手紙であると解釈した時宗は、5人を龍ノ口の
首の座(現在の江ノ島付近)へ連れて行き、全員首を切り
処刑してしまいました。
   因みに、モンゴルでは、その手紙は、友好国に
なりませんか?と言う内容であったと、解釈されています。
   何れにしても、元寇と言い、使者の処刑と言い、
両国にとって悲しい歴史に違いありません。
そうした歴史の上に立ち、現在いる我々が、なにをすべきか
そう考えた時、エルデネ・ゾーのご住職が、鎌倉のお寺を
訪問したいと言う意味が、よく理解できるのであります。
   特に、使者5人が眠る「常立寺」と元寇の際の全ての
戦没者を弔っている「円覚寺」との交流は、歴史的意義を持つ
ものと確信するのであります。

   そんな意気込みで、エルデネ・ゾーに伺ったので
本当に拍子抜けしてしまいました。
   それでも、広い境内、宝物殿も何箇所もあり、見所
満載であります。訪問団25人と通訳の方8人の総勢33人
がずらずらと境内を回るので、とにかく時間がかかります。
   そんな中、モンゴル国外務省のアジア局、日本担当の
ブレンさんから連絡がはいりました。約束していたアジア局長
との面会が、やっと時間が取れるようになりましたとのことでした。
   しかし、もうハラホリンに来ているので、金曜日まで
帰れないと告げると、税金の減免の手続きの関係で、
ニャムドラム市長さんと連絡を取りたいと言うので、
その事を市長に伝え、直接アジア局長と話してもらったら、
どうも、こんがらがった話になり、それから、在モンゴル日本大使館
や在日本モンゴル大使館を巻き込んでの大騒動の始まりです。

   一難去って、また一難・・・どうなることやら・・・

この続きは、また明日!ザ・マルガシ・オールジー!
   
   

投稿者 TAKAHASI_koji : 20:35 | コメント (0) | トラックバック

2007年06月03日

予定通り、予定変更

長旅ではありましたが、無事宿泊先のアナルツーリスト
キャンプに到着しました。とにかく荷物を降ろし、シャワーでも
入ってゆっくりしたいと、早速、ゲル(テント型住宅)の確認
です。

   しかし、いつも1つのゲルに4つのベットが入っているのですが、
これが、驚くことに2つベットの所もあれば、3つベットの所もあり、
4人1組でメンバー表を作ってあったので大慌てです。
   グループ割をやり直し、それぞれのゲルが決ったのは、
到着後、30分を過ぎていました。それでも、大汗かきかき
必死にやっていたせいか、誰一人文句も言わず、ひたすら待って
くれました。
   予定では、荷物をゲルにいれたら、2時間位休憩する時間を
見ていたのですが、またまた、予定変更です。直ぐに朝食を
用意してるので、レストラン用の大きなゲルに集まるよう言われ
渋々、レストランに伺うと、市の職員の方が、数名待っていて
くれました。そこで、パンとサラダの朝食を頂き、やっとゆっくり
できたのは、11時30分ころでした。
   とにかく、ヒゲをそろうと、シャワーを浴び、ゲルでゴロゴロ
していると、ニャムドラム市長が来たので、ゲルレストランに
来て下さいと言われ、再び全員集合です。これまた予定通りの
予定変更です。「どーにでもなれ」と半ばやけくそになりながら、
ゲルレストランに行くと、まだ、お腹が空いてないのに、昼食
と言われ・・・トホホホホ
   市長から改めてご挨拶頂き、モンゴルウォカで乾杯です。
「トクトーイ!」(乾杯!)と始まったら、もう最後、乾杯したら
一気飲みをする習慣なので、順番にトクトーイ!、トクトーイ!
の連続を繰り返しながらの自己紹介です。
   とうとう気が付いたら、午後2時を回っていました。
   今日は、市役所に表敬訪問し、エル・デネ・ゾー寺院等
点在する世界遺産巡りの予定だったのですが・・・
   皆さんから日程のこと聞かれても、「打ち合わせ通りで
ないので、私も分からないんですよ」と応えるしかなく・・・
   それでも、どーやら市役所には、行くことになったみたいです。
重い腰と酔っ払ってフラフラな足を引きずりながら、バスに乗り込み
出発です。
   市役所に着くと、職員の方が総出で出迎えてくれました。
そして市長室で、改めて公式挨拶です。訪問団団長の本田議員に
続き、兵藤総務部長から石渡市長のメッセージが読上げられ、
鎌倉彫と共にメッセージを手渡させて頂きました。
   その後の、市長からのお礼の挨拶では、市役所前の通りを
鎌倉街道と命名するとサプライズ発表があり、参加者から大きな
拍手が起こりました。
   そにかく、予定通りの予定変更を初め、サプライズの連続です。
まだまだ、サプライズは、続きますが、この続きは又明日!
バイアルタエ!


投稿者 TAKAHASI_koji : 09:32 | コメント (0) | トラックバック

2007年06月01日

ハラホリンゲート

    ハラホリンに向かう道中、雨が降っていたので
、お天気を心配していたのですが、朝には、すっかり
良い天気となり、訪問を祝福しているようでした。
    モンゴルは雨が少ない国なので、客人が来る
時に、雨が降ると、雨を連れて来てくれたと、喜ぶ
風習があります。我々もそうかもしれませんね。
   
    ハラホリン市の入り口にハラホリンと書かれた
アーチ型の大きな門があります。町の中心から20分
位離れた所なのですが。
午前9時、その門の脇で、市長以下、市職員や
中学生達が大勢で我々を出迎えてくれました。
    バスを停め、どうすればいいのか少々不安に思い
ながら、歓迎の音楽が鳴り響く中、バスを降りて、
皆さんが待つ輪の中へと進みました。すると、一人の
女子学生が、デール(民族衣装)の正装で、ミルクを
持って回り、一人ひとりに、一口ずつ飲ませてくれました。
   旅の疲れを癒す意味があるのか?大切な客人を
迎える儀式なのか?どうも後者であるようですが、
いずれにしても大変な歓迎振りに疲れも吹き飛んで
しまいました。
   その後、ハラホリン市長、ニャムドラムさんから、
歓迎のご挨拶を頂き、記念写真を撮ったり、子供達と
話したり、30分程、歓迎の雰囲気に浸りました。
   そして、再びバスに乗り込み、パトカーの先導で
ハラホリンでの宿泊先、アナルベースキャンプへと
向かったのです。
   気分良く、アナルベースキャンプに着いたのですが、
またまた、事件です。
   この続きは、また明日!ザ・マルガーシ・オールジー!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:12 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月30日

モンゴルの旅路は神のみぞ知る

   首都ウランバートルは、高層ビルが建並び、横浜の
ような感じでありますが、車で30分も走れば、ジャリ道の
ゲル地区であります。
   地方へ向かう幹線道路も一応整備されてはあるものの、
穴ボコだらけで側道のダートコースを行った方が、安全且
早いような状況です。
   そんな状況ですから、タイヤがパンクするのは、日常
茶飯事、機械的故障すらあります。
   モンゴルでは、昔から、旅に出る時は、目的地に何時
に着くかは、口にしないと言う風習があります。実際何時に
着くか全く分からなし、狼に襲われ辿り着けないこともしば
しばあったのだと伺いました。時代や条件は違えども今も
その風習は受け継がれています。
   そうした風習から、町を出る時は、出口の路側の
小高い丘の上にある「オボー」と言う神様の塚に、
小石を3つ持ち、1周ごとに1つずつ積み上げ、旅の安全を
祈念してから出かけるのです。
   そして、無事帰ってこれたら、また、「オボー」に御礼
参りに寄り町に戻るのです。

   昔も今もそんな状況ですから、我々の旅の成功は、
ウランバートル、ハラホリン間の移動にかかっているなーと
初めから思っていました。
    いざ、スタートしてみたら、初めからいつもと
コースが違うではありませんか!道中いたる所が、
道路工事の真っ最中で、迂回しなければならないとの
こと・・・
    途中2ケ所程、トイレに寄ろうと計画していたのですが
普段の道と違うので、行けども行けどもゴアンズ(ドライブイン)
はありません。
5時少し前、空が、白々としてきたものの、民家らしいもの
すら見えてきません。ん~ん!
    仕方なく男性だけ、立ちショ○○○をお願いし、
しばし、タバコタイムです。女性陣が、膀胱炎になっては
いけないと、ヒヤヒヤしながら進んでいくと、7時頃やっと
民家のトイレをお借りすることができました。フー!
(女性陣からは、予定は浩司時間、あてにならない、
などとぼやかれるし・・・少しヘコミました。)
    何とかトイレに辿り着いたのもの、ポットントイレ
ですから、穴に落ちないかヒヤヒヤです。トイレも1つしか
無ったので、かなり時間がかかりましたが、ホット一安心、
スッキリしたところで、気を取り直して出発です。
    約束の時間まであと2時間、無事辿り着き
ますように、神様に祈るしかありません。
ヒチゲレー!(頑張れ!)
続きは、次回に

投稿者 TAKAHASI_koji : 21:22 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月23日

Ya!Ya!Ya!モンゴルへようこそ

     いよいよ24名のモンゴル国ハラホリン市親善訪問団
が、訪モンする日になりました。
    朝から通訳のバドさんとチャンザさんが、バス会社に
伺い、契約書を交わし、夜ホテルに22時に来て頂くことを
確認してくれました。
    また、無料の日本語版モンゴル観光ガイド、
「モンゴリアン ウォーカーズ」を入手するために、編集局に
恐る恐る電話をしてみました。すると日本語の話せる
マネージャーが対応して下さり、鎌倉市とハラホリン市が
市民交流を続けている事を説明すると大変歓迎して下さり、
重たいのに30部も持って、わざわざホテルまで来てくれました。
感謝、感謝です。
    先週までとは違い、運が向いてきたぞー!と意を強くし
間髪入れずに、外務省日本担当のブレンさんに連絡すると
またまた、連絡がとれません・・・(やっぱり、半つきかフー!)
    それでも、気を取り直し、午後からは、夜のお弁当の
材料を買出しに行きました。通訳のアリマさんとゾロさんと
三人でスーパーに行き、サンドウィチの材料とミネラルウィーター
を買出し、アリマさんのお宅を借り、材料をカットしてお弁当箱
に詰め込みました。通訳の方や運転手さん等を含め、40人分
のお弁当の量は、半端ではありません。約2時間程かかって
しまいましたが、なんとか仕上げ、次は、通訳の人達の
お迎えです。
    やっと、ホテルに着いた頃には21時を回っていました。
あと1時間で出発だと言うのに通訳さんが、前日に入れ替わった
ことを忘れていて、皆さんに配るレジメの手直しが・・・
    汗をかきかきフロントで35部の資料と格闘していると
見るに見かねた通訳の方やホテルのフロントの方が手伝って
くださり、なんとか22時に間に合いました。
さあいよいよ、チンギスハーン国際空港に向けて出発です。
    23時05分到着予定の飛行機は、少し遅れて23時25分
無事チンギスハーン国際空港に到着しました。
しかし、今か今かと首を長くして待っていたのですが、
待てど暮らせど誰も出てきません。1時間30分を過ぎた頃やっと、
出てきてくれました。
    到着が遅れたため、ソウルからの便と一緒になり遅く
なってしまったそうです。とにかく無事皆さんが到着して
一安心です。
    一旦バスの中に荷物を入れて、社内でお弁当とレジメ
「モンゴリアン ウォーカー」を配布し、ガイダンスです。
    先方が、朝9時にハラホリン市入り口のゲートで、
歓迎のイベントを企画してくれているので、時間調整を
することをご理解頂き、午前2時トイレを済ませ、いざ出発です。
    長い旅になりますが、皆さん寝ながらいきましょう!

    いよいよ珍道中がはじまりました。
まだまだ、予期せぬできごとは続きます。
消防車の消息もきになりますが・・・
この続きは、また明日!
ザ・マルガーシ・オールジー!(また明日あいましょう!)


   

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:03 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月21日

無事皆を迎えられるか

   いよいよ明日は、大挙して皆がモンゴルにやってきます。
最後の仕上げ、確認作業を完璧にせねば・・・
と言うことで、朝からホテルの部屋チェックです。
   たまたま、全室空いていたので、どの部屋を使っても
いいよと言われ、2階から4階まで全室確認させて頂きました。
中には、3室ぶち抜きのスイートルームまであり、部屋割り
に悩みましたが、なんとか部屋割り表が完成しました。
   時間を見ると2時を過ぎていました。朝から何も食べて
いなかったのでお腹がグーグー
   それでも最後の仕上げ、グループ別に頼んでおいた
通訳の方8名の最終確認です。3名は、毎日のように
会って話しているのでOKですが、その他の通訳さんは
集合場所を伝えながら連絡しなくてはなりません。
   そこで2名のかたと一緒に食事をしながら、打ち合わせ
をすることになり4時にレストランで待ち合わせ会食をし
その場で、未確認の方に連絡してもらったのですが、
   ナ・ナ・ナント前日だというのに、2名が予定が
入り、キャンセルとのこと・・・トホホ(またかよ)とぼやきながら
他の人を当たってもらうとなんとか予定通りの人数には
なりました。しかし、通訳の方のキャラクターを考えグループ
割りをしたのに、もうオールシャッフルです。
   食事が終わり、ホテルに戻り、グループ別通訳表や
ハラホリンでの日程表、ホテルの部屋割り表を作成して
やっと準備が整い一安心、なんて予定の立たない国な
のでしょうか!
   あっそうそう、モンゴルの無料観光ガイドブックを
頂くのを忘れていました。明日1番で、頼まなければ
   少し、運が向いてきたように感じます。この調子で
何とか乗り切らねばガンバ!

   この続きはまた明日!バイヤルタエ!(さようなら!)
 
 

投稿者 TAKAHASI_koji : 21:26 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月20日

エッ!また

   土曜日ではありますが、バス会社が営業していると
いうので、会社に直接伺うことになりました。私が宿泊して
いるホテルのすぐ近くでありました。会社に着くと大型バスが
20台位停まっていて、洗車や社内清掃や機械整備を行って
いました。その中で、よさそうなバスを選び、運転手と直接
交渉するんだそうで、どうなるのかなー?と様子を見ていると
1番綺麗なバスの運転手さんと交渉を始めました。
   ハラホリンに行ったことがあるか?月曜日から1週間の
日程で借り上げできるか?等々の内容です。運転手さんは
6回程ハラホリンに行ったことがあり道はわかっているし、
日程も大丈夫だと言うので、今度は、会社と契約交渉です。
   会社の方と話をすると、運転手が了解したならば、
会社はOKです。とのことで、利用日、利用時間を話し、
料金を決めました。しかし、書面の交換は、月曜日に行う
とのことで、一抹の不安はあるもののひとまず、ホッとして
バス会社を後にしました。
   次にハラホリンから疲れて帰ってきて荷物を降ろす際、
ホテルの前までちゃんとバスが入れるか、確認するため
予約したホテルに向かいました。
   ホテルに着くとやっぱり、大型バスではホテル前に横付け
することは難しいとのことで・・・
少し離れた所で、降ろすしかないか・・・気を取り直し、ホテルの
フロントに行き、シングルの部屋を確認してなかったので見たい
と申しいれると、案内してくれました。
   しかし、シャワーがバスタブが無いのでビシャビシャになる
構造で、大丈夫かな?と思いながら、もう1度フロントに戻り
再度予約の確認をしてビックリ、ツインとシングルの部屋数が
逆になっているではありませんか・・・!(またかよ)
   直ぐに、日本の旅行社に連絡を取り、やり取りをした
のですが、やはり、部屋数が足りないとのことで、キャンセル
し、自分でホテル探しをすることにしました。
   とにかく、今泊まっているホテルは、普通高いホテル
なのですが、交渉してみることにしました。初め倍以上の
金額を提示されたのですが、事情を話すと、前のホテルと
同じ条件で、やってくれると言うではありませんか。
オー!神様、仏様、ほんとにありがとうございます!
   皆さんを迎える2日前にやっと準備が整いました。
それでも、部屋の確認は、日曜日の10時からすると
のことで、どの部屋を誰にするかの作業は、それからと
なります。
   消防車の件だけは、目処が付かなかったですが、
その他のことは、一応目処が付きとにかくホッとしました。
通訳の方が、そんな様子を逐一、ニャムドラム市長に
連絡していたらしく、その晩、市長がウランバートルまで
出てきてくれました。そしてロシア料理の店で会食し
準備が整ったことやハラホリンに着いてからの予定に
付いて話し合い、とても気分良くホテルに帰りました。
   この調子で日程が進み、皆さんに楽しい思い出を
持って、帰ってほしいなーと思いながら、モンゴルに
来て、初めてグッスリ眠ることができました。

   この続きは、また明日!ザ・マルガシ・オールジー!


投稿者 TAKAHASI_koji : 18:01 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月19日

ムムムム・・・またまた問題が!

   どうも予定が、確認できないことばかりで、グッスリと
寝付けず、朝4時に目が覚めてしまいました。そしてテレビを
付けるとナッ・ナッ・ナントどこのテレビ局もやっていないでは
ありませんか!1チャンネルから60チャンネルまであるので
すが、どこもやっていません。3時から5時までお休みのよう
です。
   仕方なく、モンゴル観光ガイドを眺めながら時間を潰し
5時になるのを待ってNHK衛星放送でニュースを見ました。
すると、石見銀山にユネスコの調査団イコモスが行き、世界
遺産に登録することを見合すよう報告したとながれました。
ビックリするニュースに一層目が覚めてしまい、鎌倉の
世界遺産登録も妙に心配になりました。
   朝から悪いニュースを聞いて気分が、晴れなかった
のですが、通訳のバドさんとチャンザさんがお見えになり
話をして、またまたビックリです。
   今朝、大型バスの運転手さんから電話が入り、予約が
キャンセルになったとのこと、目の前が真っ白になりました。
またきたか・・・フーッ・・・
   バドさんとチャンザさんの知り合いのバス会社に連絡し
て頂、何とか土曜日にバス会社に伺い、停まっているバスの
中から、良いバスを選び契約してくれるとのことで、少しホット
しましたが、それが滑ったらもう後が無く、不安な気持ちは
拭えません。
   それでも、気を取り直し、この日は、チャンザさんのお姉さん
ツフシン・ジャルガルさんが経営する工場見学に行くことに
しました。羊の毛皮や皮革を薬品で洗い染色する工場で、出来上
がった製品は、イタリアや中国に輸出しているそうです。
   工場では、1度に1000枚の皮革を洗える大型洗濯機が、
5台も設置してあって、とてもおどろきました。彼女の会社は、
モンゴルでも特に大きな企業の1つです。
   工場見学の後は、毛皮や皮革を田舎から持ってきた時に
受け入れをするストックヤードを見学させて頂きました。約1000坪
の土地に大きな倉庫が建っていて、夏でも倉庫の中は10℃
位なので、皮が腐ったりしないそうです。
   ここに毎朝、3000頭から10000頭の羊の皮が届け
られるそうです。9月から11月がピークになるそうで、今は、まだ
新しい羊が生まれたばかりで、それほど忙しくはないそうです。
それでも、この時期に田舎を回り、買い付けをするそうで、
彼女のランドクルーザーはフル回転しています。
   そのストックヤードにも10坪ほどの事務所が建っており
その中で、夕食をご馳走になってしまいました。ニンジンサラダ、
ボーズ(水餃子)、ホーショール(焼き餃子)、ゴリヤーシ
(ビーフシチュウ)等々、食べきれない程のご馳走でした。
   お腹が一杯になっても気分はどうもスッキリしません。
早く、明日になってバスの予約ができるよう祈りながら、
くたくたになって床に就きました。これではいい夢みれる
訳ありませんね・・・
   
   この続きは、又明日!バイヤルタエ!(さようなら!)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:32 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月17日

次から次へと問題発生

   1日たって朝9時の始業時間を待ち、早速外務省の
日本担当ブレンさんに電話をしたのですが・・・繋がりません。
アレレ・・・?
30分おきにズーット電話したのですが、とうとうお昼を回って
しまいました。お昼休みが終わりやっと連絡が取れたのですが
時刻は夕方5時を過ぎていました。
   怒っても仕方ないし、返って話がこじれるので、平静を装い
相手の出方を伺うと、「アジア局長が、出張になってしまったので
来週、月曜日に来てください。」とのことでした。
   皆が来る日です。皆さんを迎えに行くのが、22時30分
なので、日中は大丈夫と思い、「分かりました。」
と申し上げ電話を切りました。その足で在日本モンゴル大使館の
エル・デネ・ダワさんに電話をすると、「上手くいきましたか?」と
言われ、すかさず「上手く行かないんですよ」と申し上げると、
「今日、ブレンから連絡があり、私はとても怒ったのですよ、ブレンが
大蔵大臣宛に書類を作成し、届ければその場で税関に電話して
全く問題なく、通関できるのですよ。私は何度もそうやってきました。
未だ、問題があればまた、電話下さいね!」と言われ、少しホッと
しました。
   とにかく週明け月曜日には決着を付けねば・・・ん~ん!
1日中、外務省に振り回され、食事もできなかったのでお腹がグー!
通訳の方が来てくれたのは、6時30分頃でした。それから中華料理屋
に場所を移し、打ち合わせです。
   所が、今日も大型バスの運転手が、捕まらず、明日朝10時に
確認してくれとのことだそうで・・・大丈夫かな?いやな予感がします。
そして、ハラホリン市長さんと打ち合わせたことをお伺いして、
またまたビックリ!
   なんと、あちらに着く時間を午後2時頃にしてほしいと言うでは
ありませんか。午前0時過ぎには、ハラホリンに向けて
チンギスハーン国際を出発する予定でいましたので・・・
気を取り直してよくよく話し合いをし、ようやく午前9時到着で話が
折り合いました。それでも、途中時間調整しながら行くようです。
   また、事前にハラホリンでの予定を伝えてあったのですが、
ことごとく、予定変更になっていました。この件は、受け入れを
お願いしたので仕方ありませんが、こちらに来て予定通り行った
ためしがありません。(正直疲れます・・・トホホ)
   明日、バスのことがきっちり確認でき、皆を迎える準備が
整うよう祈りながら床につきました・・・。

   この続きはまた明日!ザ・マルガーシ・オールジー!

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:29 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月16日

皆を無事迎えられるのか!?

   モンゴルの企業や官庁は、通常9時から13時まで
で、お昼休みとなり、14時から18時で業務が終わります。
   翌日、モンゴル国外務省アジア局の日本担当者
ブレンさんに会ったのは、12時でした。
ごく手短にではありますが、鎌倉市とハラホリン市が
友好関係を築いていくことは、両国間の800年に及ぶ歴史
の中で礎となり、とても重要であることを説明させて頂き、
ご理解を頂いた所で、本題の消防車の関税減免に関する
お願いをさせて頂きました。
   所が、在日本モンゴル大使館にお願いしてきておいた
ことが、何もモンゴル国外務省に伝わっていないことが
明らかになりました。
   そこで、改めて、消防車を贈らせて頂いた経緯を説明し
関税の減免をして頂けるようお力添え頂けないかお願いさせて
頂きました。
   私の話が信じられない訳ではなかったのでしょうが、
在日本モンゴル大使館にも確認の連絡をして頂けるとの
ことでした。そして改めて翌日、アジア局長さんに正式に
依頼をするよう指示を受け、面会時間は、翌朝連絡を
取り合うことで、この日は引き上げてきました。
    それでも何故、あれ程お願いしておいたことが、
伝わっていなかったのか不思議で、何度か在日本モンゴル
大使館のエル・デネ・ダワさんに連絡してみたのですが、
上手く連絡が取れません。
    仕方なく本件は、翌日のブレンさんとの話合いに期待し
午後からは、ホテルの確認と大型バスの確認を行うことに
しました。
    ホテルに行ってみると大型バスが、前まで入れないでは
ありませんか!ムムム!
それでも気を取り直し、フロントに伺い予約が上手く取れて
いるか?確認をすると、部屋数だけは予約が取れている
ことが確認できました。そして、部屋の状況を確認させて
頂くと、シャワーがトイレの横にバスタブもないまま付いて
いるだけで、ビショビショになってしまうので、大丈夫かなー?
と、とても不安になりました。
    一抹の不安はあるものの、一応のチェックを済ませ
大型バスに荷物は入るか?シートは硬くないか?等々
確認するため、バス会社に向かおうとしたのですが、予約
してあるバスの運転手が捕まりません。
夜7時頃、ウランバートルに戻るので、それから確認して
下さいとのことだったので、ホテルで待機していると
7時30分頃連絡が入り、翌朝早いので、翌日19時に
確認してくださいとのことだったので仕方なくこの日は、
   夕食も食べず、疲れてそのまま寝てしまいました。zzz・・・

   この続きは又明日!ザ・マルガシ・オール・ジー!


   

投稿者 TAKAHASI_koji : 19:32 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月15日

モンゴルの大空に消防サイレンは響き渡った

   昨日、モンゴルから帰って参りました。
毎回、色々な事がありますが、今回も奇想天外面白い
旅が味わえました。
   本日から何回かに分けて、モンゴル通信お伝え
致します。どうぞお楽しみに!

   今回は、25名の市民の方々と8名のモンゴル人通訳さん
を含め、33人で、ハラホリン市を訪問して参りました。
訪問の目的は、以前贈ったパソコンが、ハラホリンの
小学校でどのように活用されているか、見せて頂くことと
   今年2月に廃車になった鎌倉市の消防車を
日本消防協会を経由して、ハラホリン市に贈らせて
頂いたので、訪問中にその使用方法を消防職員の方に
指導して頂くことの2つが大きな目的でした。

   私は、1週間早くウランバートルに行き、訪問団受け
入れの準備を行いました。4月30日の夜11時に現地に
到着しましたので、翌5月1日から、精力的に準備に取り
掛かることにしました。
   消防車の運送状況確認や宿泊先の確認、
最も大切な移動用大型バスの確認等々であります。
   所が、初めに行った消防車の確認でビックリです。
な・な・なんと5月3日にウランバートルに到着予定で
送り出したコンテナが、中国のメーデーにぶつかり
現在何処に荷があるのか?何時ウランバートルにつくのか?
全く分からない状況に陥っているではありませんか!
   とにかく、日系企業のエリンインターナショナルと
言う企業の系列会社で、中古車を日本からモンゴルへ
輸入しているカーセブンモンゴリアという会社の
黒田社長に協力を求め、翌日連絡を取り合うことを
約束して一先ず引き上げました。
   しかし、問題は、それだけでは留まりませんでした。
在日本モンゴル大使館のレンツェンドー・ジクジット大使
との約束で、関税が免除される約束で消防車を送った
のですが、出口の税関所長に話をすると、全く話が
通っていませんでした。
   早速、外務省の日本担当、ブレンさんに連絡を取り
翌日、2日に面会して頂くことになりました。
   これが、嵐の幕開けだったのです。

   続きは、また明日!バイヤルタエ!(さようなら)  

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:30 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月29日

センバイツァーノー!(皆さん今日は!)

   いよいよ明日、ハラホリンへ旅立ちます。
今回は、昨年ハラホリン市長が、鎌倉を訪問して
下さった時の約束に基づき訪問するものです。
   今回のモンゴル国ハラホリン市親善訪問団は、
総勢25名ですが、ウランバートルで1名日本語教師を
している方が参加してくださいます。それから、8名の
モンゴル人通訳も同行しますので、実質人数は34名で
ハラホリン市を訪問します。
   ハラホリンでは、小学生のために送ったパソコンが
どのように使われているのか現地視察も予定しています。
もちろん既に世界遺産に登録している市ですので、
そのコア遺産であるエル・デネ・ゾー寺院や亀石等の
見学、そして日本のODA支援により建設予定の
国立博物館の建設予定地見学。そして、その施設の
消防対策の為に本年2月に廃車になった当市の消防車を
日本消防協会を通じて送らせて頂きました。
我々がハラホリンに行くまでには、消防車も現地に到着
している予定なので、使用方法の指導や放水訓練等を行い
贈呈式の式典も行う予定でいます。
   今回、本来市長が訪問するべきでありましたが、都合が
付かなかったので、お休みを取っての個人参加でありますが、
世界遺産登録推進担当担当部長、総務部長、が参加して
下さることとなりました。
   それから、消防車の使用方法の指導のため、消防職員の
方が1名参加して下さいました。
   また、小学校にパソコンを送らせて頂いておりますが、将来
ハラホリンの小学生と鎌倉の小学生が、パソコンを通して交流する
プログラムも検討して頂くよう、現地の環境確認のため
教育委員会からも1名参加をして下さいました。
   いずれも、未だ姉妹都市ではありませんので、自費による
個人参加であります。主旨ご理解頂きご参加頂いたことに
改めて感謝申し上げます。そして、職場の方々にもご迷惑を
お掛けしますが、お許し頂きたいと存じます。
   こうした交流が、近い将来必ず実を結び、市民交流都市
としての位置づけになると確信するものであります。
   
   ということで、明日から暫くブログは、お休み致します。
5月14日帰国予定であります。帰りましたらモンゴル通信
として、旅のエピソードをお届けしたいと思います。
どうぞお楽しみに!それでは、バイヤルタエ!

投稿者 TAKAHASI_koji : 08:55 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月13日

スト回避

   本日、午後7時前、消防車の輸送をお願いしている
SATから電話が入り、心配していた港湾労働者達のストが
前面回避され、予定通り17日に船積みできるようになりました。
と連を頂きました。
   綱渡りでやってきた苦労が、報われたと、ただただ感謝です。

   今日は、在日本モンゴル特命全権大使のジクジットさんと
一緒に、日本消防協会に行き、秋本理事長に面会してきました。
モンゴルに消防車を寄贈するのは、初めてとのことで、これを
契機に今後もモンゴルへの支援を改めてお願いさせて頂きました。

   秋本理議長さんが、消防庁のトップだった頃、モンゴルで
山火事があり、日本の国土と同じ位の面積が、焼けた時、
何か日本が、できる支援は無いかと、様々検討した時の
エピソードのお話を聞いたり,ジクジット大使からは、モンゴルで
日本の相撲に関するアンケートをしたところ、1番好きな力士は
誰ですかとの問いに、大勢いるモンゴル人力士を押さえ、
魁皇関が1番人気でしたと披露すると秋本理事長さんが、
福岡県出身でしたので、大変喜ばれ、とても和やかな会談でした。

   機会があれば、秋本理事長さんもモンゴルに行ってみたいと
の話もあり、我々がご案内することをお約束して帰って参りました。

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:56 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月12日

消防自動車ハラホリンへ

   2月一杯で、廃車になった鎌倉市の消防自動車を、
日本消防協会を経由して、ハラホリン市へ寄付される
こととなりました。
   どうせ寄付して頂くなら、5月に我々が、ハラホリン市を
訪問するまでには、その消防自動車が、ハラホリン市に届いていて、
使い方も指導してさしあげられるようにと、消防職員の方も、
お一人年休を取り、ボランティアで、参加してくださることも
決まりました。
   そうした、努力や経過を説明し、日本消防協会にも無理を言い、
書類の作成を急いで貰い、なんとか17日の船に乗せれるよう
手続きを行って頂くことができました。
   そして、本日、横浜の大黒埠頭で在日本モンゴル大使館の
エルデネ・ダワさんと一緒に日本消防協会の方々からの説明を受け、
輸送会社にお預けすることができました。(ホットしました!)
   その後、福浦にある輸送会社の事務所に立ち寄り、
輸送費や書類の打ち合わせを行ってきました。
   しかし、ホットしたのも束の間、なんと、港湾労働者の組合が、
労働条件を巡り、労使交渉を行っているのだが、妥結に至らず、
もしかすると15日からストに突入するかもしれないと、知らされました。
   17日に船積みして、ギリギリの日程だったので、
なんとかストを回避してほしいと神様に祈るばかりです。
   ここまで、綱渡りで、何とかかんとかやって
来ましたが、もう、努力ではどうにもなりません・・・
   間に合うことを信じて、旅たとうと思います。
バイヤルタエ(さようなら)
 

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:16 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月10日

セン バイノー (今日は ! )

   今日は、来月ハラホリンに行くため、ビザを
申請しに、モンゴル大使館に行ってきました。
   ビザの申請が、直ぐ終わったので、
1等書記官のエルデネ・ダワさんに面会してきました。
エルデネ・ダワさんは、モンゴルに行った時、
日本の大学を卒業した国会議員と繋いで頂いたり、
ハラホリンの市長と繋いで頂いたりと、大変お世話に
なっせ方です。
   今年、エンフバヤル大統領が、来日することに
合わせて、在日本モンゴル大使館勤務になったこと
を伺い、早く会いたいと思っていたのですが、
先方も忙しく、こちらも議会が続いていましたので、
本日、久し振りの再会となりました。
   大統領が、来日した際の多忙な日々の後、
体調を崩し、未だに具合が悪く難儀しているそう
そうですが、最近のモンゴル事情等々話に花が咲きました。
   鎌倉市とハラホリン市との交流が進んでいることも
大変喜んで下さり、12日に日本消防協会から
ハラホリンに消防車を寄贈する調印式には、
ダワさんが、出席するとも言ってました。
   また、会うことを約束し、戻ってきました。

   

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:39 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月03日

ハラホリン市親善訪問

   過日ご案内したモンゴル国ハラホリン市親善訪問が、
迫ってきました。5月7日から14日までの予定で行きます。
30人定員で募集したのですが、急遽4人が参加できなくなり
定員まであと、6人になってしまいました。旅行費用は、
165,500円です。どなたかご希望の方がおられましたら
是非、ご連絡下さい。
    e-mail  koji1788@kamakuranet.ne.jp    
    高橋携帯  090-4129-5440

   たまたま、2月末日で鎌倉市の消防自動車が、廃車になりました。
そこで、国際協力を手がけている日本消防協会に相談し、同協会を
通じて、ハラホリン市に消防自動車を寄付することもきまりました。
4月17日の船で中国を経由してウランバートルまで、運ばれます。
   我々が、ハラホリン市に行くまでには、消防自動車も到着して
いる予定です。今回、消防職員もボランティアで1人行ってくださる
こととなりましたので、現地で放水訓練を行う予定もしています。
   また、3つある小学校にパソコンを送る約束をしていまして
現在20数台を送っていますので、そのパソコンがどのように
利用されているか、見学する予定です。将来は、鎌倉市内の
小学校とパソコンを通して、交信し合う授業ができればと考えて
います。
   もし、ご自宅に不要になったパソコンがありましたら、ご寄付
頂ければさいわうです。最終目標として、1校36台の3校分
ぜんぶで108台のパソコンを送ってあげられればと考えて
います。
   ハラホリンでパソコン教育に当たってくださるのは、チャンザさん
という女性で、昨年11月まで2年間、筑波大学でコンピューターの
勉強をしていた方です。今年の10月には、同大学の大学院に
再びお見えになるそうですが、指導者の育成もして頂けるそうで
将来、そこで教育を受けた子供が、鎌倉の企業で研修できるように
なることを夢見て、交流を続けていきたいと思っています。
   帰ってきたらモンゴル通信をお届けいたします。
お楽しみに!バイヤルタエ(さようなら)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:58 | コメント (0) | トラックバック

2007年03月11日

蒼き狼

   今日待望の映画、「蒼き狼 地果て海尽きるまで」を観に
行って来た。久振りに三人の子供達、モナミ、コスモ、ジョイと
一緒に行くことができました。
   ご案内の通り、「蒼き狼」は、モンゴルは、チンギス・ハーン
の物語であります。
   チンギス・ハーンがモンゴル国を統一する前は、幾つもの
部族が点在し、殺戮を繰り返しては、戦利品を奪い合っていました。
戦利品は貴金属や馬等の家畜だけではなく、
女子供も戦利品として奪われていました。
   実は、チンギス・ハーンの母親も隣の部族から戦利品として
捕らえてきた、部族長の妻であったのです。
   20年の時を越えて、再びその部族が、チンギス・ハーンの
村を襲い、チンギス・ハーンの妻ボルカを奪い去って行ったのでした。
1年後にチンギス・ハーンが兵を仕立てボルカを救いに行った
時には、既に部族長の子供を妊娠していました。
   それでも、チンギス・ハーンはその子を自分の子供として
育てました。そして、その子が成人して領土を守る任を与えるのですが
敵の毒矢にやられてしまい、危篤に陥ってしまいます。
情報を聞きチンギス・ハーンは、息子の様子を見に行ったのですが、
時既に遅く、息も絶え絶えの息子が横たえていたのです。
その息子の様子を見て、それまで自分が、息子に取ってきた
態度を甚く反省し、息子を抱き上げ「生きろ、頑張れ」と声を掛ける
のですが・・・
「私も蒼き狼の子として死ぬことができますか?」と父に問いつつ
生まれて初めて父に抱かれた幸福感を抱きつつ、
息子は、息を引き取ったのでありました。

    このシ-ンでは、私も涙が出て止まりませんでした。
子供達も、何かを感じ取っていたようです。
時代や国は、違うけど命の大切さや家族の絆を少しでも
感じて、くれていたのなら、いいなーと思いした。

  是非皆さんも「蒼き狼」観に行って下さいね!

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:53 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月25日

蒼き狼

   モンゴル建国800年を記念して作られた角川映画
「蒼き狼 地果て海尽きるまで」が、3月3日ロードショウ
公開されます。
   勿論モンゴル建国の父、チンギス・ハーンの物語です。
今からとても楽しみです。
   実は、本年はモンゴルにおける日本年と位置付け
モンゴルにおいて様々なイベントが行われています。
   そんなこともあり、明日、エンフバヤル大統領が
日本にやってきます。
   私は議会中でありますが、大統領在日中にタイミングを
見てお会いしに行きたいと思っています。
   とにかく皆さんも「蒼き狼」見に行ってくださいね。
そして、モンゴルにいってみたいとおもったらメール
ください。5月7日から1週間、ご一緒にモンゴルへ行きましょう。
   バイヤルタエ(さようなら)

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:09 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月02日

センバイノー!(こんにちわ)

   久し振りのモンゴル通信です。
昨年以来、歴史的意義を感じ、モンゴル国ハラホリン市と
鎌倉市の市民交流都市提携を目指し、活動して参りました。
   その甲斐あって、昨年10月にはハラホリン市の
女性市長ニャムドラムさん一行が鎌倉市を親善訪問してくれました。
   その時約束した、本年5月に鎌倉から親善訪問団が
ハラホリン市を訪れる件ですが、やっと訪問団募集の案内が
できました。
   どなたでもご参加頂けます。皆さん奮って応募ください。

(募集要項)
モンゴル国ハラホリン市親善訪問へのお誘い

センバイノー! (こんにちは!)
皆さんもご一緒にモンゴル国ハラホリン市へ、
親善大使として行ってみませんか!

モンゴル国は、横綱朝青龍をはじめとする関取が多いので
お馴染みかとおもいますが
なんと言っても、一番有名なのは、チンギスハーンですね!
3月には、チンギスハーンの物語が、角川映画「蒼き狼」で上映されます。

ハラホリン市は、鎌倉と同じ800年前の首都です。
既に、世界遺産に指定された町でもあります。
鎌倉時代、2度の元寇がありましたが、1回目と2回目の間に
使節団が、鎌倉を訪れています。

様々な意味でハラホリン市と、鎌倉市は、ご縁があるのです。
そこで、市民交流都市の提携を目指し、この度有志を募り、
ハラホリン市を訪問する企画を立てました。
皆さんもご一緒に参加してみませんか!

モンゴル国ハラホリン市親善訪問実行委員会
代 表 本 田 達 也 (鎌倉市議会議員)
事務局 高 橋 浩 司 (鎌倉市議会議員)

(ハラホリン市訪問概要)
1.日程:平成19年5月7日から平成19年5月14日(8日間)

 ・5月7日:成田空港(16時集合)
        チンギスハーン国際空港着(現地時間23:30)
        そのままバス移動
・5月8日:ハラホリン市着(現地時間9:00)
        市内観光
        ハラホリン市泊(ゲルベースキャンプ)
・5月9日:市内観光
      ハラホリン市泊(ゲルベースキャンプ)
・5月10日:ハラホリン市発(現地時間9:00)
        バス移動
        ウランバートル市着(現地時間18:00)
        ウランバートル市泊(エリンホテル予定)
・5月11日:自由行動
        ウランバートル市泊(エリンホテル予定)
・5月12日:自由行動
        ウランバートル市泊(エリンホテル予定)
・5月13日:ホテル発(現地時間10:00)
        日本人戦没者慰霊塔参拝(現地時間11:00)
        昼食、アイリッシュカフェ(現地時間12:00)
        日本大使館、調整中(現地時間13:30)
        ザイサンの丘(現地時間15:00)
        日本センター(現地時間16:00)
        民族音楽と民族舞踏観劇(現地時間17:00)
        夕食、イフモンゴル(現地時間18:30)
        ウランバートル市泊(エリンホテル予定)
・5月14日:ホテル発(現地時間5:00)
        チンギスハーン国際空港発(現地時間7:30)
        成田空港着(時間12:00)解散

※航空チケットの予約が、3ケ月前のため飛行機での移動時間が大幅に
変更になる場合があります。
※現地では、4人一組となり、全工程各組1人の通訳が添乗予定です。

2.旅行費用:160,500円

  ・航空券    70,000円(チケット代金はまだ未定のため実費精算)
  ・空港利用料 8,500円
  ・ビザ取得費 5,000円
  ・食費     22,000円(アルコールは各自負担)
(7日夜、8日朝、昼、夜、9日朝、昼、夜、10日朝、昼、夜、12日昼、夜)
  ・宿泊費   30,000円(5,000円/日)
  ・通訳費用  10,000円
・現地交通費15,000円(車両借り上げ費、運転手報酬含む)
    ※旅行保険を含みませんので、各自お願い致します。

3.定員:30人(集まり次第締め切りとさせて頂きます。)

4.申し込み:この用紙の記入欄を書き込みそのままFAX頂くかEメールにて
  お願い致します。

問い合わせ先  事務局 高 橋 浩 司
           携   帯 :  090-4129-5440
電   話  : 0467-24-5929
F  A  X  :  0467-24-5929
           Eメールアドレス : koji1788@kamakuranet.ne.jp


(お申込者)

氏 名                                 

ご 住 所                                 

電 話 番 号                                 

※個人情報は、本件に関する連絡以外に使用致しません。
※お申し込み頂いた後にこちらからご連絡致しますが、万一一週間経っても
返事が無い場合は、携帯にご連絡ください。
※Eメールでお申し込みの方は、モンゴル国ハラホリン市親善訪問の件と
表記下さい。
※全日程通訳が随行しますが、簡単な挨拶等モンゴル語会話や
自由行動日のためのウランバートル市街地案内等を含め
旅行説明会を開催致します。日程は、お申し込み後ご連絡致します。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:58 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月29日

セン バイノー (今日は ! )

   遅くなりましたが、ハラホリン市鎌倉訪問団の滞在記を
全てエントリーし終わりました。
   カテゴリーは、モンゴル通信です。興味のある方は、是非
ご覧下さい。

   所で明日は、伊東正博議長が請負業者から700万円を貰っていた
事件に関し、議会運営委員会の中で議論が行われます。

   前回、伊東議長が話した内容と職員が調査して報告した内容に
違いがあるので、多分もう一度、伊東議長に議運にご出席頂き
その辺を明らかにすることになるでしょう。
   そういうことをしても明らかにならないものは、当然請負業者の
サンエイテレビや実際に仕事をしたキャドセンターに来て貰い、明らかに
して行くことになるでしょう。
   鎌倉に補助事業の募集が、神奈川県から来たときに、既に
業者名が、天の声として降りてきたと言う職員の証言もあることから
最終段階で、どのような展開になるか・・・
   とにかく、ゼンボウを明らかにすることが、先決です。
   委員会の内容は、また、ご報告いたします。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:37 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月09日

さようなら、また会う日まで!

   いよいよ、帰国の日です。
   

   昨晩、一人ひとり、感想を伺ったのですが、皆さんとても楽しかった
と言ってくれました。また、浩司も本田も家族のようだ。最初は、仕事で来たけど
今は、家族と離れるのが、寂しいと話してくれました。
   そして、鎌倉とハラホリンのことは、力を合わせて成功させようと約束しました。
   そこまでは、良かったのですが、朝11時に行くと、未だ皆寝てるでは
ありませんか!あーあ!飛行機に間に合わなかったらどーするの!
   とにかく、叩き起こし、宴会の残骸を片付け何とか12時過ぎには、
車をスタートさせることができました。それでも、ビニール袋を持って今にも
吐きそうな人わいるは、先が思いやられましたが、何とか時間に間に合うように
成田飛行場に着きました。
   チェックインをして荷物を預け、最後の昼食を一緒にとりました。
皆さん疲れているのと、まだ、日本に居て帰りたくないのとで、無口でラーメンを
すすったり、うどんをすすったり、していましたが、いよいよお別れです。
   惜別の念を隠し得ませんでしたが、また会うことを約束し、訪問団を
乗せた飛行機は、飛び立って行きました。
   さようなら、また会う日まで!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:08 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月08日

寒さと眠気に耐えて・・・

   今日は、朝から太平洋クルージングの予定でしたが、朝起きたら
頭が、グルグルしているではありませんか。

   このままクルーザーに
乗ったら間違い無く、船酔いすると思い、午前中は、本田議員に
お任せして、昼食からの合流としました。
   後から聞いたのですが、魚釣りもやって、大きなシーラと言う魚を
2匹釣って喜んでいたそうです。
   昼食は、小町通りの天竜で焼肉を食べました。
豚足を注文すると、美味しい美味しいと食べていたのが印象てきでした。
   お腹一杯に、焼肉を食べ、ホテルに戻ると、直ぐに薪能に行く
時間になってしまい,慌てて出かけたので、寒くなると言うのを忘れてしまい、
皆さん半袖で、出掛けてしまいました。
   4時30分に鎌倉宮に到着し、明るい内はよかったのですが、
薪に火が、入る頃は寒くて寒くて仕方ありません。
そのうち言葉も分からないは、寒いは、眠くなるはで、とうとう1部が
終わった時点で、会場を後にすることにしました。
   その足で夕食に向かうことにしたのですが、リクエストにより
「しゃぶしゃぶ」を食べに行くことにしました。8時頃にお店に着いたのですが、
昼の焼肉が未だ消化されておらず、皆さん食べ放題なのに、
あまり食べていませんでした。(残念)
   あっという間の1週間いよいよ明日は、帰国の日です。
   ということで、食事の後、ホテルで最後に酒を酌み交わそうということになりました。
翌日は私が、運転する予定でしたので、私だけジュースでのお付き合いとなりました。
お酒もジュースも全て一揆でのむので、お腹もポンポンになってしまいました。
皆さん相当酔いも回っていたのですが、3時になっても一向に終わる気配がありません。
   仕方なく、朝、11時に迎えに来るので、仕度をして、直ぐ出られるようにして
待ってて下さいね!と言い残し、酔っぱらった本田さんだけ残し、
私は退散しました。明日は大丈夫かなー?心配だなー!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:34 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月07日

世界のミッキー!

   今日は、皆楽しみにしていた東京ディズニーランドです。

   私も久し振りでしたが、皆さん疲れていたので、午後1時頃着いたのですが、
相変わらず大変混雑していて、スペースマウンテンとホーンテットマンションしか
入ることができませんでした。
   それでも、パレードを見ることができ、夢のディズニーランドを満喫
していたようです。
   皆さん大人なので、乗り物に沢山乗るより、雰囲気に浸るところが
よかったのでしょうか?沿道では所々で、路上ライブがあり、楽しそうに
見入っていたのが、印象的です。
   夕食もディズニーランドでとり、宿泊場所に向いました。色々な乗り物に
乗ろうと思っていたのですが、案外のんびりした一時を過ごすことが
できました。
   明日は、太平洋クルージングと薪能です。早く寝て疲れをとらねば・・・
(ザ・マルガーシ・オールジー  また明日)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:22 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月06日

今日は雨・雨・雨・・・

   今日は、市内のおもだった寺院を回る予定でした。
しかし、朝から横殴りの雨です。


   それでも、是非、鎌倉を観て欲しいとの思いから、一行をまず、建長寺に
お連れしました。
   山門を抜け、本堂に着いたのですが、回廊が雨でビショビショです。
事前にお寺には、本日お連れする旨の連絡をしてありましたので、スリッパを
お借りして、中庭を拝見させていただいたのですが、雨は、強くなる一方です。
   降りしきる雨の中、10時過ぎには、円覚寺に着きました。
こちらも連絡してありましたので、今度は、和尚さんが一緒に付いて説明して
下さいました。
   しかし、その際、配られたパンフレットを見てビックリ、何とパンフレットには
この寺は、北条時宗により、元寇に対し、勝利することを祈念して創建された
と書いてあるでは、ありませんか。
   雨足は強くなる一方です。舎利殿に着く頃には、着てる服もビショビショに
なってしまいました。やはり、モンゴル人が着たので、風雲急を告げたのでしょうか?
   この後、長谷寺と大仏も回る予定にしていたのですが、このままでは、
風邪を引くといけないとギブアップです。
   円覚寺のあとは、ホテルに戻り、シャワーに入り夕方までゆっくりして頂くことに
しました。
   夕方4時に再度、石渡市長に面会する予定になっていましたので、市役所に
伺い、今後、両市の友好を深めて行くために、どういうスケジュールで進めるかの
協議をさせて頂きました。
   1年位のスパンの中で、互いの市民が、具体的に交流し、その後、覚書の調印
ができるようがんばりましょうと約束をしてくれました。
   具体的な交流については、いくつかあげたのげすが、もう少し確実性が、
確保できた時点でお知らせしたいとおもいます。
   その後は、ショッピングです。横須賀芸術劇場と同じビルにあるダイソーという
100円ショップに行きました。皆喜んで、2つの手で持ちきれない程、買い物を
していました。
   買い物の後は、食事を取り、皆疲れてマッサージがしたいと言うので
スーパー銭湯に行くことにしました。しかし、混んでて、最後の人が終わったのが、
深夜1時過ぎになり、よけい疲れてヘトヘトになり、ホテルに辿りつきました。
   明日は、東京ディズニーランドです。1晩寝て疲れとれるかなー?
ザ・マルガーシ・オールジー(また明日お会いしましょう)

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2006年10月05日

日本モンゴル友好協会

   今日は、朝から東京回りです。
8時にホテルを出発し、大黒埠頭のPAで朝マックして
10時30分、日本モンゴル友好協会会長で衆議院議員の
海部俊樹先生に面会しました。
    

    

   

   海部先生は、歴代総理で最初にモンゴルを訪問し、モンゴルでは
よく知られております。今年もモンゴル国建国800年記念事業で行われた
世界モンゴル民族学会に日本を代表して、モンゴルを訪問されました。
    歓談の中には、最初に訪モンした際、モンゴル政府から寄贈頂いた
馬の話に花が咲き、その馬について書かれた絵本に先生がサインをして
ニャムドラム市長さんが、頂戴しました。
    そして、日本モンゴル友好協会、湘南支部を鎌倉、逗子、藤沢の3市で
立ち上げたい旨申し上げると、心よく支援を約束してくださいました。
    次に、伺ったのは、財務副大臣の田中和徳衆議院議員の所です。
田中先生は、元参議院議員の斉藤文夫先生の所で、本田議員の秘書の
先輩として、お勤めになられていました。
また、先生は外務政務官を2期勤められておられるので、外交筋に精通されて
おられ、我々が、初めてモンゴルに行った時も、在モンゴル日本大使館に
連絡を入れてくださり何かとご協力を頂いてきました。
    訪問団一行がお邪魔した際も予算委員会の真っ最中で、昼食の時間を
割いて、会って下さりました。8月に小泉前総理が、訪モンした際約束した
ハラホリン市に造る博物館に対するODA支援の再確認をさせて頂いたり、
検討を約束した、ウランバートル、ハラホリン間の道路整備についても改めて
お願いをさせて頂きました。更に来年、モンゴルにおける日本年を開催するに
当り、本年モンゴル国が、日本人旅行者のビザを免除したように、日本も
モンゴル人旅行者に対し、ビザの免除をして頂きたい旨ご相談すると、
基本的には、外務省の仕事だが、モンゴル大使館と外務省の間に入り
できる事を検討してみましょうとお約束して下さいました。
   短時間でしたが、中身の濃い充実した面会でした。
   ここで、霞ヶ関を後にして、渋谷にある在日本モンゴル大使館に向かい
ました。午後2時の約束でしたが、少し早く着いたので、昼食を取りました。
   昼食は、くじら料理です。モンゴルには海がないので、勿論くじらを食べる
のは皆、初めてです。夫々、刺身、唐揚げ、ステーキと思いも思いに注文し
食べていましたが、しばし、沈黙で箸だけが、ぎこちなく動き回り、何とも言えない
空気でした。それでも、最後に魚では無く、お肉みたいだ、まあまあだよと言って
くれたのでほっとしました。
   昼食も早々に、早速モンゴル大使館に向かい到着すると、先日の
訪問団歓迎レセプションに、大使の随行でお見え頂いた、サルーン・ドグスさんが、
迎え出てくださいました。
   応接室に通して頂くと、直ぐに大使のジクジットさんがいらして下さり、
モンゴルのミルク茶、スーテーツェーとお菓子を振舞ってくださいました。
   先日のパーティーの話もそこそこに午前中、日本モンゴル友好協会
会長の海部先生と財務副大臣の田中先生に会って来た報告をさせて頂きました。
特にビザの免除の件については、早速、田中先生に会い、話を詰めて頂く
ことを約束して頂きました。
   皆さんも大使とモンゴル語でしばし歓談した後、来年の日本におけるモンゴル年
の事業の一つに、鎌倉とハラホリンの都市交流提携を入れて下さいとお願いすると
今月、モンゴル政府の官房長官が来日し、日本政府とどのような事業をやるか
打ち合わる予定になっているので、その時、石渡市長、高橋、本田両議員が
官房長官に会えるよう調整してみます。その時具体的に相談しましょうと
約束してくれました。
   東京に出ないとモンゴル料理のお店が無いので、大使館の方が良く行く
モンゴル料理店を紹介頂き、6時の予約をしてもらい、大使館を後にしました。
   夕食まで少し時間が、あったので秋葉原の電気街を覗いて見る事にしました。
我々からすれば、安さ爆発って感じですが、皆さんは、どー見たのでしょう?
買い物は、あまりしていませんでした。
(電圧の違いがありますからね。モンゴルは220V)
   ご紹介頂いたモンゴル料理店は、浅草橋にあり、秋葉原から直ぐの所です。
隣が、両国なので、モンゴル人力士も毎日のように誰かしら、顔を出すそうです。
訪問団の一人で、ハラホリンのあるウブルハンガイ県の議長を歴任し、
現在モンゴル政府、保険労働省、副大臣のチンゾルクさんが、横綱朝青龍の
携帯番号を知っていると言うので、かけてみましたが、残念ながら今日は
他の約束があり、会えないとのことで、少しがっかりしました。
それでも私の携帯で電話したので、朝青龍の携帯番号をゲットしました。ワーイ!
   モンゴル料理店は、浅草橋西口すぐのガード下にあり、「モンゴルタウン」
と言うお店でした。モンゴルのウオッカをたのみ、皆でトクトーイ(乾杯)し、
モンゴルの人参サラダ、ツオイワン(やきうどん)、ホーショール(揚げ餃子)
ボーズ(水餃子)、等々モンゴル料理を堪能し、満足して家路に着きました。
   朝から晩まで、神経を使い顎が上がってしまいました。
明日は、市内の寺巡りです。頑張っていきましょう。
ザ・マルガシ・オールジー・バイヤルタイ!
(また、明日お会いしましょう。さようなら)

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2006年10月03日

センバイノー!(こんにちわ)

   昨日遅くに鎌倉にたどり着いたハラホリン市鎌倉訪問団一行
ですが、本日は、朝9時から鎌倉市役所に行き、石渡市長を表敬訪問
していただきました。
   
   
   
   

   私も朝から同行したのですが、30分程の面談では、石渡市長の
ご趣味である弓矢のことでひとしきり盛り上がってました。
   その後、市議会の議場を見学し、頼朝の墓、八幡宮へ参拝して、
昼食を取り、午後は、ハイランドの天辺にある見晴らし公園に行き、鎌倉を
山の上から眺めました。
   実は、ウランバートルにはザイサンの丘と言う見晴らし公園があり
有料ですが、その丘に登り街を眺めるのが、デートスポットになってます。
同じようにハラホリン市にも見晴らし公園があり、360度パノラマで、原風景の
街全体が眺められます。勿論、世界遺産のエル・デン・ゾーと言うお寺の全景も
見ることができます。
    一行から、鎌倉のザイサンに行きたいと言われ急遽ハイランドに行ったの
ですが、残念ながら少しガスっていて、富士山は見えませんでした。
    その後、鎌倉時代にカラコルム(現ハラホリン市)から来た訪日団が、
龍の口の首の座で処刑され、埋葬されている龍口山常立寺に墓参りに
行きました。
    そして、夜はKKR鎌倉わかみやで、モンゴル国ハラホリン市鎌倉訪問団
歓迎会食会を開催しました。石渡市長始め、総勢90人の盛大なパーティーと
なり、訪問団の方々も大変喜んでくれました。
    在日本モンゴル大使館特命全権大使のレンツェンドー・ジクジット様も
ご多用の中、ご出席くださり会に花を添えて下さいました。
    また、懇親会では、日本文化を代表して、葉山在住の井上真愛久先生
による尺八の演奏があり、会場の皆さんは元より、常立寺に眠るモンゴル人の
方々の魂をも癒す、素敵な演奏に酔いしれました。
    続いて行われた、モンゴル民族楽器、馬頭琴とフーミーの演奏には、
これまた、会場の中に、モンゴルの草原を渡る爽やかな風が吹き、心和む
ひと時を過ごすことができました。
    最後に、ハラホリン市長のニャムドラムさんから、石渡市長にモンゴル
の民族衣装のデールが送られました。その場でその衣装を着た石渡市長からは、
返礼に鎌倉彫を送り、揃って記念撮影を行いました。
    終始和やかなパーティーで、盛会裏に終わることができました。
これも偏に急なお呼びかけにも拘らず、ご出席頂いた皆様のお蔭様であります。
恥ずかしくない、おもてなしができましたこと、この場を借りてお礼申しあげます。
ありがとうございました。
    さて、明日もこの勢いでがんばるぞー!


投稿者 TAKAHASI_koji : 23:10 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月02日

ya!ya!ya!

   いよいよ、モンゴルはハラホリン市から鎌倉訪問団が
お見えになりました。今日から1週間ご一緒させて頂きます。
   随行紀をエントリーします。少し遅れ遅れになりますが、
お楽しみ下さい。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:58 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月23日

ハラホリンから市長さんがやってくる!

   10月2日から9日まで、モンゴル国は、ハラホリン市の
ニャムドラム市長以下、鎌倉訪問団一行がこられることになりました。
   

   これを契機に市民交流の都市として、来年には都市提携できるように
進めていければと思っています。
   訪問中は、ハラホリン訪問の際、受けた恩返しとして、私と本田議員が
張り付いて、接待させて頂く予定です。
   市長との面会や頼朝の墓参拝、モンゴル人墓地の参拝、鶴岡八幡宮参拝
建長寺、円覚寺、長谷寺、大仏殿等代表的な観光名所もご案内する予定に
しています。
   また、その際の出来事は、後日ご報告いたします。
   とにかく、久し振りの再会、楽しみです。

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2006年09月22日

エル・デニ・ゾー その1

    エル・デニ・ゾーが、ハラホリンにある世界遺産の
ラマ教寺院であることや中の建物配置等について先日
エントリーしました。
    
今日は、そこを訪れた時、のことを書き込みたいと
思います。

  

我々が、寺院を訪れる前にハラホリンのニャムドラム市長が
ご住職に「これから日本人の議員が来るので宜しくお願いします。」
と伝言してくれていたので、本堂を訪れた際、30人以上の僧侶が
読経供養をしている真ん中に立たされ、お釈迦様の坐像から出ている
ロープで、本田議員と私の体をグルグル巻きにし、御経巻の入った
大きなガラスケースを二人で持たされ、約30分間、重さに耐え腕をプルプル
させながら、最後は、30人の僧侶により、お米を投げつけ
られました。結婚式ならライスシャワーと言うのでしょうが、
この場合何というのでしょう?
終わった後、外で痛くなった腕を伸ばしながら、体操をしていっると
小坊主さんがやってきて、ご住職がお待ちしてますので、
来てくださいと迎えにきてくれました。
   狭い階段を体を横にして、頭を天井にぶつけながら上がって行くと
そこには、仏間があり、その前に先ほど読経修行を行っていた本堂で
一番上に座っていた若い和尚さんが、胡坐をかいて座っていました。
   この続きは、また次回・・・


投稿者 TAKAHASI_koji : 23:48 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月19日

モンゴル通信

    ハラホリンは、2004年「オルホン谷の考古・歴史的史跡」
として世界遺産に登録されています。歴史遺産が点在し、現在も
毎年、発掘調査が行われ、新たな発見による歴史の検証が
繰り返されています。
    
 

   それら点在する遺産の中にエルデニ・ゾーというお寺があります。
今回の旅では、時間が無く、寄れなかったのですが、前回5月に訪問した際、
立ち寄ってきましたので、少し書き込みをして置きたいと思います。
     エルデニ・ゾーは1586年、第3代皇帝グユク当時、
イルハ族のバダイハーンにより建立された、チベット密教、ラマ教のお寺であります。
エルデニ・ゾーとは、「宝の寺」と言う意味で、創建当時は、62の寺院を含み
500もの建物があり、1000人の僧侶が修行していたそうです。
     また、エルデニ・ゾーの外壁は、1辺400メートルの正方形で、「ストゥーパ」
と呼ばれる仏塔が、等間隔で108並び囲んでいます。108は人の煩悩の数を
表すと言われていますので、中に入る時は、既に煩悩が取り払われ、純真無垢な
心の状態になることを表しているのでしょうか?
     中に入ると中央に「ゾボルガン」と呼ばれる仏舎利塔、左に中国様式の
「三寺」、右側にチベット様式の「ラブラン寺」が建っています。
     そして、山門を入るとすぐの所に、石碑があり、その石碑に刻まれている
マークが、現在モンゴル国の国旗に使用されているものだそうです。
     最も興味深かったのは、古美術等が、売られているお店が、幾つかあり
中をのぞいていたら、チンギス・ハーンの肖像画が売られていました。
あたりまえでありますが、その肖像画のチンギス・ハーンは何も被っておらず
何とその頭髪は、侍のちょんまげそのものだったのであります。
やはり、チンギス・ハーンは、義経だったのでしょうか?・・・
     実は、エルデニ・ゾーのご住職にハラホリンのニャムドラム市長が
日本から議員が来るので、対応してほしいと依頼して下さっていたので
その後、大変なことになったのですが、この続きはまた明日
     ザ・マルガシ・オール・ジー(また明日お会いしましょう)

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2006年08月17日

マルコ・ポーロ

   マルコ・ポーロ(1254.9.15~1324.1.8)といえば
「東方見聞録」の中で日本を「ジパング」黄金の島として紹介
したことで有名ですね。
   

   実は、マルコ・ポーロは17才の時、ベニスの商人であった
父親と共にモンゴル帝国の首都、カラコルム(現ハラホリン市)に
行き、皇帝フビライに「汗の外交官」として、かわいがられ17年間
使えていたのです。
   チンギス・ハーンを始め歴代皇帝がモンゴル人のヒーローで
あることは、当然でありますが、マルコ・ポーロもある意味モンゴル
を世界に広めた人物として、今でもモンゴル人の支持を受け
ヒーローの一人に数えられています。
   17年間皇帝フビライに使えた後、マルコはベニスに戻りますが
ベニスとジェノバの海戦で捕虜となり投獄生活を余儀なくされます。
その時、獄中で知り合ったのが、ルスティケロという作家で、その彼が
マルコの話が、面白いと書き綴ったものが、後に「東方見聞録」として
世に出ることになった訳であります。
   しかし、マルコは日本を「ジパング」と紹介しながら日本を訪れた
ことはなかったそうです。
   それでも、ローマ教会の宣教師たちは未開の地の貴重な情報と
して、布教の際の参考に利用していたようです。また、アメリカを
発見したコロンブスもマルコの「東方見聞録」を見て、黄金を求めて
航海に出たそうです。
    その黄金の島の根拠は、平泉の中尊寺、金色堂にあるとも
言われており、チンギス・ハーン、義経伝説とあいまって、
私の好奇心はを触発してなりません。
    とにかく、モンゴルも日本もマルコ・ポーロによって始めて
世界に広く紹介されたと言う意味でとても不思議な縁を感じるので
あります。    
   また、この義経伝についても何時の日か言及してみたいと思います。
今日はここまで・・・
    バイヤルタエ(さようなら)
 

      

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月13日

モンゴル通信

   今回のモンゴル訪問の目的は、ハラホリン市からの
招待があったためですが、あいにく年度当初から8月4日に
後援会の国会見学会があったため、4日に行われたメインイベントの
ナーダムを見学することができませんでした。
   

   それでも先発隊として参加した本田議員は出席し、
エンフボルト大統領と一緒に記念写真を撮ったそうです。
   私は、5日の飛行機で成田からチンギスハーン国際空港に
向かい、午後7時に到着、その足で夜を徹して一路ハラホリン市に
向かいました。と言っても借り上げを頼んでおいたタクシーが故障し、
他の車を手配するのに手こずり、午後9時30分頃の出発となりました。
   そしてハラホリンに到着したのは、なんと朝7時を過ぎていました。
前回泊まった「アナル」と言うツーリストキャンプに本田議員が居ると
聞いていたので行ってみると、僅か2ケ月の間にその隣に平屋では
ありますが、立派なホテルが建っているではありませんか。
その玄関を見ると本田議員が、立って待っていてくれました。
   その日そこに宿泊すると思っていた私に、本田さんから11時に
ニャムドラム市長が、ホテルに迎えにきて、世界遺産のキョル・デギン碑を
見に行き、今日はその先の湖の畔に宿泊すると言われていると伝えられました。
少し睡眠を取ってゆっくりしたいと思っていたのですが、何とも慌しい旅です。
   取り急ぎ、本田さんの部屋のシャワーを借りて、頭を洗い、髭を剃り、
少しサッパリした所で、再び、旅の始まりです。
   モンゴルではウランバートルを除き、まともな舗装道路は無いため
何処に行くのもオフロードのダートコースであります。デコボコ道で
頭を窓にぶつけたり、腰を強打すること万度で、車が故障せず目的地まで
辿り着いてくれることを、只ひたすら神様にお祈りするばかりです。
   何処に行ってもこのような状況ですから、モンゴル人は、目的地に
何時頃着くと言うことは、弦を担ぎ言ってはいけないんだと教えてもらいました。
   それでも2時間も走った頃でしょうか、目的地の湖に到着しました。
早速、昼食です。持ってきたモンゴルハムとモンゴルのきゅうり
(日本のキュウリの3倍はあるでしょうか)、少し甘いのが特徴の
モンゴルマヨネーズと、スライスチーズ、それらを少々硬めのパンの上に
のせてモンゴリアンサンドのできあがりです。
美味しい空気と美しい景色と共に頬張りました。
   その後、本日の宿として、近くのツーリストキャンプを紹介してもらいました。
そこで夕食までの間、疲れを癒すため、つかの間の休息、
一眠りさせてもらいました。
   3時間程うとうとした頃だったでしょうか、夕食の支度が整ったと
わざわざ呼びに来てくれました。
   そして再び、キャンプ場所に戻ってできあがった料理を見てびっくり・・・!
   この続きは、また明日!
   ザ・マルガーシ・オールジ(また明日お会いしましょう)
   バイヤルタエ(さようなら)


投稿者 TAKAHASI_koji : 22:02 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月03日

モンゴル通信

   センバイノー!(今日は!)
ここの所、エントリーが滞りがちでしたが、久し振りのモンゴル通信です。
   

   実は、5月にハラホリン市と市民交流都市の提携ができないか
感触を探るため、モンゴルに行っていた件は、既にお知らせしましたが、
モンゴル国建国800年にあたる本年は、様々な催しが企画されています。
その1つにチンギスハーンの生まれた町からキャラバン隊が、何ヶ月も
町々を回りながら、ハラホリン市に向って進み、最後にモンゴル全土から
各部族の代表が、ハラホリン市に集結し、大きなお祭りを行います。
   現在、モンゴルの首都はウランバートルですが、本年ハラホリン市を
特別市に認定し、将来首都をハラホリン市に遷都する構想もあるそうで、
盛大なお祭りになることが、予想されます。
   そんな中、ハラホリン市のニャムドラム市長さんより、お祭りへの
参加を求める招待状を頂きました。
市民交流を促進するため、お伺いすることにしました。
   8月5日から8月12日までの予定です。
また、しばらくお休みしますが、帰国したら、モンゴル通信をお届けする
予定です。どうぞお楽しみに!
   追伸:ちょうど私がモンゴルにいる間に小泉首相が、モンゴルを訪れます。
少しでもお会いできないかとお願いしたのですが、片山虎之助参議院議員
等、国会議員も多数訪問しているそうですが、セキュリティーの関係から
誰とも面会する予定が、入れられなかったそうで、断られてしまいました。
   それでも実りあるものにしてきたいと思います。
   それでは、またお会いしましょう!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:43 | コメント (0) | トラックバック

2006年06月03日

モンゴル通信  5日目 パート2

   三井物産のウランバートル支店の岡田支店長と約束したのが
午後6時、会社に伺うと、3人程の方が慌しく仕事をされていました。
お約束をして伺った高橋と申しますが・・・
   程なく岡田支店長はやって来られました。忙しいのに面倒だなー
と言わんばかりの態度です。
   こちらから色々な話をふるのですが、食いつきが悪く、
こんな人が、日本企業の代表では、日本の評判は地に落ちるなと
思いながら、15分程で、失礼することにしました。
   三井物産のウランバートル支店では、原子力の原料である
ウラン鉱物と石炭のみを扱うためにあるそうで、その他のことは、
聞きたくないし、話したくもないようでした。実は、前任者が、モンゴル
高官に対する贈収賄事件を起こし、その後を受けて着任したのが
岡田支店長だそうで、自ずとブレーキが掛かるのでしょう。
   もう2度と行きませんが、頑張って下さい。
   楽しい会食会の前に、気分は最悪になってしまいました。
飲み過ぎで荒れてしまいそうです。
   この続きはまた明日!(バイアルタエ)

 

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2006年06月02日

モンゴル通信  5日目

   モンゴル5日目、今日は昨年10月に進出した三井物産
ウランバートル支店に行く、予定です。その後、モンゴル政府
外務省、アジア局長のエル・デネ・ダワさんと約束の会食です。
   共に夕方からの約束でしたので、日中街を散歩しました。
街を歩くと、様々な発見があります。
前回も書き込みしましたが、家庭用の大きな電話を持って
街角に立っている人がいっぱい居ます。これは、モンゴルの
公衆電話です。1回一般回線へは、100トグルグ(10円)
携帯電話へは、150トグルグ(15円)です。道端に体重計を置き
体重を計る仕事は、50トグルグ(5円)、靴磨き10円、ガムは1枚から
売ってます。1枚3円、タバコも1本から売っていて、1本2円50銭
車のタイヤに空気を入れる仕事は、1本75円です。
   とにかく、何でも仕事にしようと、逞しく生きています。
お昼は、ハーンボーズというお店でボーズを食べました。
ボーズは、水餃子のことです。ハーンは王様という意味です。
   ストリートチルドレンもウランバートルに3000人いると言われて
います。前述のハーンボーズでも客が、食べ終るとストリートチルドレンが
残りを食べていたりします。実に寛容に満ち溢れた民族なのでしょう。
   それでも、私が見てないときに店の人に追い出されていたと
本田さんが言ってました。
   とにかく見るもの全てが、新鮮で、人物ウォチをしていても飽きません。
そうこうしてるうちに、三井物産にいく時間になりました。
日本企業が、どのような活動をしているかについてお伺いすることも1つの
目的でありますが、実は、ブリッジグループのダワ社長から依頼された
セブンイレブンの件ですが、海外では、三井物産とタッグを組んでやって
いるので、うまく良い情報が頂ければと言うのが、本音で伺うことにしました。
   三井物産はチンギスハーン国際空港からウランバートルに入る時、
通る平和大橋の袂にあります。果たして成果や如何に?
   この続きは、また明日!(ザ マルガーシ オールジー)

 

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2006年05月31日

モンゴル  4日目 パート2

   今日は、モンゴル財界人の大物、ダワ・ジャル・ガルさん
とブランチミーティングです。
   ダワさんは、もとモンゴル外務省の職員で、日本のODAで
造ったカシミア工場の技術者になるため、国立信州大学の繊維学科に
国費留学していたため、日本語はペラペラです。
   前回モンゴルに行った時、面会した親日国会議員のガン・ホヤグさんの
紹介で面会したのですが、実はダワさんの前任の社長が、ガン・ホヤグさん
でした。
   前述のカシミヤ工場で技術者として働いていた頃、カシミヤ工場の次に
日本がODAで支援して造るダムの建設に関し、地元交渉をする際、
採用した、通訳が日本語をあまり分からず、通訳できる人材を探していたそうです。
その時に、カシミヤ工場に日本留学経験者が、数人いるとの情報を
聞きつけ、ガン・ホヤグさんやダワさん達に助けを求めに来たそうです。
電気の供給は、最優先の国策と手伝うことを決意し、会社に相談したそうです。
   しかし、カシミア工場の社長が、頑固おやじで、許可を出してくれず、
結局社長を無視して、手伝い行き、4日後に会社に戻った時は、社席を消され、
首になっていたそうです。
   そこで、首になった4人で興したのが、現在のブリッジグループで
あります。今では自分達が首になったゴビというカシミア工場の筆頭株主に
なり、社長と常務にグループの人間を登用しているそうです。また、社業の
拡大も順調で、自動車販売、建設会社経営、マンション開発販売、飲食店経営、
カジノ経営、薬品会社経営、スーパー経営等々。
   そして、前回お会いした時、今後コンビニ展開を考えていて、是非日本の
セブンイレブンと一緒にやりたいので、力を貸して下さいとの依頼もありました。
帰国後、色々伝を探していると、同僚議員の渡辺君が、元セブンイレブンの
社員で、その時分の上司だった方が、現在、中国進出の責任者をやっている
との話を聞き、渡辺君を通し聞いて貰いました。
   しかし、基本戦略として、国民の平均月収が、2万5千円以上にならないと
店舗展開は、難しいとの回答で、現在、モンゴルの平均月収は、1万円程度で
まだまだ、飛躍的に月収が伸びることは、期待できる環境では無いため
当分難しいとのことでした。
   このことを伝えることが、ダワさんに会う目的でもありました。

   優雅に昼からビールを煽り、ウランバートルの街の景色を眺めていると、
本田さんがやって来ました。程なくダワさんも現れ、互いに握手で再開を喜びました。
ダワさんは、駄洒落が得意で、すぐにくだらない駄洒落を言いますが、これがまた、
座を和ませてくれるのです。会ったとたんに駄洒落の応酬で、楽しい楽しい
ブランチの会となりました。

   前日、ダワさんは、韓国ノムヒョン大統領の歓迎晩餐会に出席していたそうで
その時の話を沢山してくれました。
   今、モンゴルのGNPの25%以上は、韓国出稼ぎ組の仕送りだそうで、
韓国では不法滞在者の問題が、社会問題になっていると、大統領の口から
出たそうです。そして、その対策として、「モンゴル人ホイホイ作戦」を敢行し、
かなりの実績を挙げている。と話されたそうです。
   実は、アメリカ人が「Hi」と挨拶するようにモンゴル人は、「ホイ」とか「フイ」
と相手を呼んだり、声を掛けたりする風習があります。そこで、モンゴル人かな
と思ったら、後ろから「ホイ」と声を掛け振り返ったら職務質問を行いパスポート
を確認し、不法滞在か否かを調べ、かなりの数の不法滞在者の検挙に成功
したという話だそうです。
   しかし、日本の「ゴキブリホイホイ」に引っ掛けた話で、晩餐会のねたに
しては、失礼極まりない話だなーと思いました。
   他にも日本の資本でやっているエリンインターナショナルと言うモンゴルの
会社(日本ではダイナムというパチンコの会社です)が、旭鷲山と共同経営して
いたそうですが、その後金銭トラブルがあり、現在裁判中であるとか、
   日本のスルガコーポレーションが、やっている開発事業は、マンションを中心に
学校や病院も造る日本人街を造る開発である等々、話は、尽きませんでした。
今度会う時は日本で会うことを約束して、お別れをしました。

   お金の流れが、日本からモンゴルに誰を介して行っているか、
何の目的で行っているか、こういうコア情報を伺うことにより、モンゴルに
関する理解が、より立体的になって行く気がしました。
   楽しい旅は、まだまだ続きます。今日はこの辺で・・・
さようなら(バイヤルタエ)

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2006年05月30日

モンゴル通信  4日目

   毎日、遅くまでお酒を飲んでいるので、朝起きるのも
遅くなりがちですが、それでもきっちり、NHK朝の連ドラ「きらり」
が始まる時間の前には、起きます。
   モンゴルは、サマータイムがあり、4月から9月までは、
日本時間と全く時差がありません。10月から3月までは、
1時間遅くなりますが。
   ですから、この時期日本人にとって、時間的にとても
過ごし易いのが、モンゴルなのです。

   さて、今日は、モンゴル財界の大物、ダワ・ジャル・ガル
さんとブランチミーティングです。今ウランバートルで最も人気の
高い「アイリシュ・パブ」と言うお店で12時過ぎに待ち合わせです。
   私は、時間を持余し、本田さんより先にお店に行き、
一人で、昼間からビールを煽っておりました。
   前回行った時は、ウオッカを飲み過ぎて、胃が荒れ、食事が
思うように取れませんでしたから、今回は、ビールだけ飲むことに
しました。モンゴルでは、昔から乳製品は命を繋ぐ最も大切な食品
とされており、その乳製品の中で最も高級なものが、馬乳酒であった
ため、お酒は何でも大切で貴重な飲み物と認識されているそうです。
のんべの言い訳みたいですが・・・
   ですから、ビールの種類も実に豊富です。最もポピュラーなのが、
チンギスビールであります。次が、韓国のカスビールでバドワイザーや
ハイネケン等もありますが、日本のビールだけありません。何故だろう?
人口は、200万人(250万人と言われてもいる)で、横浜市の半分くらいしか
居ない国ですが、前述の理由から、お酒の消費量は、驚くべき量なので、
日本のビール業界もモンゴル進出をすると絶対に売れると思います。
   脱線ばかりしてますが、私は、いつも韓国のカスビールを飲んで
いました。アサヒスーパードライに似た、ライトビールであります。

   今日は、ダワさんとの歓談をお伝えするつもりが、横道の話が
長くなってしまいましたので、本編はまた明日!
(ザ マルガシ  オールジー  また明日お会いしましょう)


   

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:32 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月29日

モンゴル  3日目 パート2

   モンゴル3日目は、目的達成に向かっての重要な準備日でした。
午前中は、在モンゴル日本大使館の市橋大使に面会することができました。
   午後は、モンゴル政府外務省アジア局長のエル・デネ・ダワさんとの
面会です。午後2時の面会だったのですが、大雪のせいで、歩くのが
大変な上、傘も差してなかったので、忙しなく日本大使館から外務省への
移動となり、時間ギリギリになってしまい、とうとう昼飯抜きになって
しまいました。

   韓国ノムヒョン大統領を迎えたばかりで、準備に追われ外務省の
中も何か、慌しい雰囲気に包まれていました。

   そんな中、ダワさんは、我々のために時間を割いて、待っていて
下さいました。前回訪問した時もお会いして、お互いに国づくりを熱っぽく
語りあい、気が合うことを確認しあった仲でしたので、旧友に会うようで
再び、楽しい話に花が咲きました。

因みにダワさんは、モスクワ大学で日本語を専攻したのと
日本大使館勤務の経験があるので、日本語はペラペラです。

   さて、仕事の面でも在日本モンゴル大使館のジクジットさんから
連絡が入っており、ハラホリンのニャム・ドラムという女性市長と
打ち合わせを、済ましていて下さり。4日後の金曜日には、
ウランバートルまで、来てくれる段取りまでしていてくれました。
また、目的である都市間交流の件も伝えいてくださり、
先方も、大変喜んでいるとのお話に、我々も目的達成に対する実感がつかめ、
少し、ホット胸を撫で下ろしたのでした。

  しかし、その時は、それから始まる珍道中のことは、知る由もなかったのです。

  2時間程、話したでしょうか、明日の準備の打ち合わせが始まるとの
ことで、2日後に会食することを約束し、外務省を後にしました。

  翌日は、モンゴルで5本の指に入る企業、ブリッジグループの
ダワ・ジャル・ガルさんとランチミーティングです。

  この続きはまた明日!
 (ザ マルガーシ  オールジ また明日お会いしましょう)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:08 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月27日

モンゴル  3日目

   今日は、月曜日、目的に向かって段取りを付けなければ!
今回モンゴルに来た目的は、鎌倉と同じように800年前に
モンゴルの首都であったハラホリン(カラコルム)と市民同士の
交流を推進するべく、同地の状況の調査や市長さんに面会して
その意思を伝え、先方の意向をお伺いすることです。
   出発前に、在日本モンゴル大使館に伺いその旨を伝え
事前に先方へ打診して頂いているものの、現地での日程調整が
確定する前に、来てしまいましたので、どんな日程になるものか?
   そこで、まず在モンゴル日本大使館に伺い、協力要請を
行うことにしました。朝、連絡を入れると、事前に連絡を入れて
あったので、大使の時間を空けて待っていてくださいました。
   早速、午前11時に大雪の中、新大使、市橋さんを表敬訪問
しました。市橋大使は、以前もモンゴル大使館に勤務されたことが
あり、モンゴルのとてもよい理解者であると、会話からひしひしと
伝わってきました。
   「モンゴルのもっともいい所は、広大な大自然が残っている所で、
開発を急ぐ必要は全く無く、それよりも日々の生活の中で、日本が支援して
行かなければならないことが、いっぱいあります。」
と淡々とお話下さいました。その話を伺い私は、市橋大使という方は、
人間力豊かな立派な外交官だなーと思い、同じ日本人として、
少し誇らしくも感じました。
   また、私達が今回来た意図もご理解下さり、支援のお約束もして頂ました。
   滑り出しよくスタートすると、トントンとアポが取れるもので、次は、
モンゴル政府、外務省アジア局長のエル・ディン・ダワさんが、午後2時に
時間をとって下さいました。

   この続きは、また、明日!  ( ザ マルガシ オールジー )   

投稿者 TAKAHASI_koji : 09:15 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月26日

モンゴル通信 2日目

   昨日に続きモンゴル2日目です。
戦中、戦後を通じてモンゴルで強制労働させられた日本人が
彼の地で約千五百人亡くなり、その英霊達の慰霊のために
建立されたモニュメントにお参りに行った話を昨日お伝えしました。
   その後、モンゴルの民族音楽を聞かせてくれる「月ハウス」
と言うコンサートホールに行くことにしました。
   「ホーミー」と言う咽笛や「馬頭琴」と言うチェロの一種、
モンゴル三味線、モンゴル琴、モンゴル大正琴、等々の楽器で演奏を、
行うのですが、モンゴルでは、国策としてこの文化を守るため、
12歳から18歳まで全寮制で音楽の勉強を教える学校があります。
   そして、何箇所もこれらの楽器で演奏を聞かせる国立劇場が
あるのですが、1992年民主化以来、初めてできた株式会社の
コンサートホールが、「月ハウス」です。
   外見や内装、ステージの構成は、群を抜いています。しかし、
他の劇場は写真を撮っても無料なのに、「月ハウス」だけは、1枚5USドル
と異常に高いのが、玉に瑕であります。
   それでも、ビールを飲みながら久しぶりのコンサートを楽しみました。
コンサートの後は、韓国料理のバイキングレストランに行きました。
   モンゴルのDGPのうち、約30パーセントは、韓国出稼ぎ組の仕送り
によると言われる程、韓国とは密接な関係があり、韓国資本のレストランや
お店、企業が沢山あります。そして、5月9日には、韓国のノムヒョン大統領が
モンゴルを訪れ、国を挙げて、歓迎のレセプションが行われていました。
   我々は、交通規制で徒歩ですら、道路を横断できず、大変困りましたが・・・
   この続きは、また明日!(ザ マルガシ  オールジー)

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2006年05月25日

モンゴル通信1

  セン バイノー(今日は)いよいよモンゴル通信が始まります。
まず、初日は、夕方7時頃の到着だったので、まず、ホテルに
チェックインした後、夕食にいきました。9時すぎまで明るいので
何か最初から、変な感じでした。
(因みに7月8月は、夜12時頃まで明るく
朝は4時過ぎに太陽が、出てくるそうです。)
12時過ぎまでビールを飲み翌日はおそめの活動を決め込み
眠りに着きました。 
  着いた翌日は、日曜日だったのでお役所関係は、お休みなので
日本人の戦没者慰霊モニュメントにお参りに行きました。
   入り口が分かりにくく前回も迷子になったのですが、
今回も迷子になってしまいました。
戦中、戦後を通じて捕虜として、シベリア抑留された日本兵が、
モンゴル政府の要請により、2万人貸し出され、国会議事堂や
国立大学等々主要公共施設の建設をする強制労働を強いられました。
厳寒の地での労働の中で約2千人の方が亡くなられました。
その英霊達の鎮魂のため、ご遺骨を日本に引き上げると
共にモンゴルに慰霊モニュメントを造りました。
   その場所は、ウランバートルの市街地から20分程の
所ですが、町中とは違い道路は土で、おまけにデコボコ、
ゲル(テント)生活者達の民家が立ち並び、
牛や馬、山羊や羊が放牧されている、長閑な風景の中、
小高い丘の上にあります。
   風が集まる慰霊モニュメントに本田議員の「海行かば」
の歌声が、響き渡り、歌詞を覚えていない私は、少し、
恥ずかしい感じがしました。それでも手を合わせ心から英霊の
鎮魂をお祈りさせていただきました。(合掌)
   私達が行ったのが5月7日だったのですが、その4日前、
5月3日に自民党武部幹事長が、この地を訪れ献花がしてありました。
続きはまた明日!(マルガシ  バイアルアエ)

   

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2006年05月06日

セン バイノー (今日は ! )

   今日から、モンゴル、ハラホリンへ世界遺産と
市民交流都市の可能性を探る視察に行ってきます。
   17日には戻ります。暫くブログをお休みします。
戻りましたらモンゴル通信をお伝えします。
   昨年、ブッシュ大統領がモンゴルを訪れ、過日は、
武部自民党幹事長やノムヒョン韓国大統領が訪モンし、
来月は、小泉総理が、訪モン予定とのこと。
今、最も熱い国と言っても過言ではないでしょう。
   ホットなニュースをお届けしたいと思います。
どうぞご期待ください。

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2006年05月01日

モンゴル大使館

   過日モンゴル関連記事をエントリーしたときも書き込み
しましたが、本年は、大モンゴル国建国800年の年であります。
   日本では、鎌倉時代でありました。ほぼヨーロッパ全域を
その支配下に置き、日本も軍門に入れるべく、2度に渡る元寇
もありました。
   時は、流れ、中国や旧ソビエトとの争いや友好を繰り返し
現在のモンゴルがある訳です。
   1992年、ロシアのペレストロイカにあわせて民主化を果たし
まだ、14年ですが、世界中でモンゴル人が活躍するようになってきました。
しかし、まだまだ、国力は発展途上であります。
   それでも、これから世界中の資本が集まりおおばけする国と
感じています。
   そこで、同じ時期に首都であった鎌倉とモンゴルのハラホルン
が、市民交流をすることにより、日モンの友好に寄与できると思います。
鎌倉は、これからですが、すでにハラホルンは、ユネスコの世界遺産に
登録されています。そこにも共通点があります。
   義経伝説として、チンギスハーンが、義経であったとの説もあり
興味深いこともあります。
   色々書きましたが、ハラホリンに受け入れ態勢が取れるか?
伺うために、今日、久し振りにモンゴル大使館に伺い、
レンツェンドー・ジクジット臨時代理大使に面会してきました。
   お元気そうで色々な話が、できてとても有意義でした。ハラホリン
へも連絡頂く、お約束をしてくださいました。
   ご報告が遅くなりましたが、今月6日から17日まで、モンゴル
ハラホリンに行って参ります。様々な交流ができる様調査してくるつもり
です。しばらく、ブログもお休みしますが、帰りましたらモンゴル通信を
お伝え致します。どうぞご期待ください。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月10日

モンゴル憂国の志士達

 モンゴル通信5日目 10月28日金曜日 後編
モンゴル滞在最終日です。

29日の帰国ですが、
早朝7時のフライトのため、5時には
ボイントハ国際空港に行かなければならず、
29日は何もできません。
 通訳をしてくれたトヤさん、ニマさん、ホンゴロさん
そしてドライバーのお兄ちゃん達との最後の晩餐会も
予定していますが、昨日、ガン・ホヤグ議員に
お会いした際、ご紹介頂いたブリッジグループの
ダワ社長と午後4時にブリッジグループの本社で
面談することになりました。
 ダワ社長は、在日本モンゴル大使館の
ジクジット代理大使の外務省の後輩で、
ジクジットさんと同じ日本の信州大学の卒業生です。
今から10数年前、日本からのODAをどの分野で
活用するか研究した結果、カシミアの紡績工場を
建設することとなり、同時にその紡績技術を日本で
学ぶことになり、一番最初に留学したのが、
ジクジットさんで、二番目がダワ社長だったそうです。
ちなみに、繊維に関する学科がある国立大学は、
日本に二箇所しかなくそのうちの一箇所が、
信州大学なんだそうです。
 モンゴルに帰国後、留学経験者達は皆、
ゴビのカシミア工場で働いていたそうですが、
日本のODAの支援で発電所を建設することになり
先遣隊として現地調査にJAICAが、来たそうです。
しかし、通訳を介在したものの日本語が上手く相手に
伝わらず、困り果てた未、日本留学経験者が、
ゴビのカシミア工場にいる事を聞きつけダワさん達を
訪ねたそうです。
 ちょうど四人の留学経験者がいたのですが、
会社が、手伝う事の許可を出してくれなかったそうです。
 しかし、この手伝いは、モンゴルの国家として
重要な仕事と思い許可無しで手伝う事にしたそうですが、
案の定、5日後に会社に出勤すると、四人とも解雇されて
いたそうです。
 そして、仕方なく四人で始めた会社が、現在のブリッジグループ
となり、モンゴルでも5本の指に入る程の企業に成長したそうです。
 そして、痛快なのは、自分達をクビにした、ゴビのカシミア工場
の筆頭株主となり、現在は社長も専務もブリッジグループの人間が
勤める程になったそうです。
  ブリッジグループは、カシミア工場の他に、
いすずやアウディーの輸入総代理店、建設会社、温泉経営、
コンビニ経営、家具の製造、ガソリンスタンド経営、IT関連の会社の経営、
輸出・入の会社経営、サプリメント製造、等々
そして驚いたことには、過日行った日本料理店の「石庭」も
ブリッジグループの経営なんだそうです。
  会社の実情をとうして、現在のモンゴル経済や政治の実情について
詳しく説明してくれました。それ以外にも原油の採掘の件や
養蜂業の話にも花が咲き大変盛り上がりました。
  そして、後刻、夕食を一緒に取る約束し、一旦ホテルに戻りました。
  再び会った夕食の際も色んな話がでましたが、少々過激で書き込め無い
ねたばかりで、内容は割愛します。
  大変気が合ったのとダワ社長が私と同じ年であった事もあり、
お互いこれからもずーっと、情報交換して行きましょう。
と硬く握手を交わし別れました。
  私達の現地スタッフのメンバーも一緒に会食したのですが
会食後、ホテルに戻り、本田さんの部屋で最後の
お別れ会をしました。ウオッカでお別れの乾杯をし、
思い出を語っているうちに、シュールな気持ちになり、
涙がウルウルきました。

  わたしのモンゴルの家族へ
    さようならは言いません
      ごきげんよう、また、会う日まで・・・  (終わり)

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:03 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月08日

お母さんのおしっこは万能薬!?

 モンゴル通信5日目 10月28日金曜日 中編
テルリジ地方にゲル(テント住宅)ツアーに出かけました。

待望のゲルで朝食を取りベットに横になっていると
急に太ももが攣ってしまい、七転八倒していると
本田さんが意地悪にもベットから落とそうとして
ついには、両足が攣ってしまい死ぬ思いを
した後で、聞いたモンゴルの風習にビックリです。
 モンゴルでは、子供の頃、母親の尿を飲ませる
そうです。これは、父親ではだめで何にでも効く
万能薬で、小学校へも水筒に入れて持って行く
程だそうで、朝一番の尿が特に効くそうです。
 私でもぜったい効くから、自分の母親に尿を
貰って飲んでみろと頻りに勧められましたが、
頼める訳なし、仮に貰っても飲むのに大変勇気が
いりますよね!
他にもモンゴルの風習やしきたり、諺に至るまで
話題となり、実に楽しい時間を過ごしました。
 そうこうしてる内に、昼食の時間です。
 昼食はゲルを経営しているホテルのレストランに
注文しておいたホルホグと言う肉料理です。
乳搾りをするミルクタンクに熱く焼いた石を入れ
その上から羊の肉と塩を入れ焚き火で焼き上げる
料理です。食べる前に熱い石がお皿に盛られて
出てきました。それをまず熱い蒸しタオルを持つ
ように左右の手で交互に持ちます。
これが、厳寒の地の暖の取り方であり健康増進法
だそうです。付けあわせにご飯とキャベツの酢漬けと
粉噴きいもと茹人参、ピーマンのピクルス、そして
スーティー ツアイ(塩味ミルクティー)です。
 お腹一杯になるほど詰め込み益々睡魔に襲われ
ましたが、夕方、ブリッジグループの社長さんに
会う約束をしていたので、早々にウランバートル
に向けて出発する事にしました。
 途中、馬とラクダを見つけて乗せて貰いましたが、
その後はノンストップでホテルまで直行です。
順調に辿り着いたのですが、何とホテルに着くと
結婚式が終わった所で、風船がいっぱい付いた車が
停まっていました。結婚式を見ると悪い事があると
言っていた今朝の話を思い出したりして・・・
 続きは、明後日に・・・
明日は、源頼朝会の一泊バス旅行です。
静岡の八幡神社と誓願寺に行ってきます。
帰りましたらまた報告いたします。
 本日は、ここまで

投稿者 TAKAHASI_koji : 20:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月07日

亀石、恐竜の化石、ゲル(テント家屋)ツアー

 モンゴル通信5日目 10月28日 金曜日 前編
 今日は、早朝7時に起きてテルリジ地方に
ゲル(テント家屋)体験ツアーに行って来ました。
 

滞在先の首都ウランバートルから30分もすれば、
風景は一変します。まだ薄暗い朝靄の中で、
ハザードランプを点けたままゆっくり走る20台位の
車の列を発見しました。何の列かと聞くと
お葬式だと教えてくれました。
 しかし、モンゴルではお葬式を目撃することは
とてもラッキーで、悪い事を死者が持って行って
くれる。と教えてくれました。その反面結婚式に
遭遇する事は、良い事を吸取られるので、
アンラッキーだと教えてくれました。
 日本とはまるで逆だと言って笑ってしまいました。
1時間も走った頃でしょうか、太陽が昇りつつある頃
車を停めて、皆で丘に登りました。丘の上には、
小石が積み上げられていました。これは何かと
聞くと、旅の安全祈願をするものだというのです。
我々も夫々小石を3つ持って、一つ投げ上げては
その周りを一周し、全部で三周して旅の安全祈願を
しました。因みに4周は縁起悪いそうです。
そういう所は、日本と一緒ですね。
 そうこうしてる内に、太陽が出てきました。
日の光りを体一杯に受けて良い日が始まる予感を
改めて体感し、再び車に乗り込みます。そして、暫く走ると
川に差し掛かりましたが、何とその川は凍っていました。
本当に寒いです。そこから程なく行くと、第一ポイントの
亀石です。高さ15メートルはあるでしょうか?
亀の甲羅と頭がはっきりと分かる、変わった形の大石です。
 そこから、また暫く行くと、テルノザウルスの大きな模型が
現れます。この付近で、恐竜の化石が出土したそうです。
そして、ホテルを出発からおよそ2時間、目的地である
ゲル(テント家屋)に到着しました。
  まず、一番最初に言われたのは注意事項です。
真ん中にある二本の柱の間は、神聖な場所なので、
通り抜けをしない様にとの事でした。
釜戸に薪をくべ暖かくなった所で、スーティーチャイ
という塩味のミルクティーが運ばれてきました。
早速、昨晩スーパーで買ったパンとソーセージ、キャビア
で朝食です。お腹も膨らみ、暖炉の暖かさとゲルの持つ
独特の隠れ家的包容力で眠くなってきました。ちょうど
ベットが4つあったので、その内の一つを占拠して横になりました。
 うとうとしながら皆の話を聞いていると
急に足のモモが攣ってしまいました。
そこえ持ってきて、本田さんがちょっかい出すものだから
両足が攣ってしまい地獄を見ましたが、暫くすると攣ったのも
治り、すっかり目も覚めてしまいましたので、
皆の話に加わることにしました。
 そしてその中で、とても興味深い話を聞くことができました。
 続は、また明日、バイヤルタエ(さようなら)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:21 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月04日

アジアの石油王?

 10月27日 木曜日 モンゴル通信4日目です。
不安な朝を迎えました。今日の日程はどうなるか・・・?

実は、モンゴルと日本はちょうど1時間の時差があります。
日本の方が、1時間早いのですが、
モンゴル時間の7時15分毎朝、NHKで
(唯一の日本語放送)「風のハルカ」を見て
私の1日がはじまります。(唯一ほっとする時間です。)
 8時30分祈りを込めて外務省のダワさんに電話しました。
何と電話が繋がったではありませんか!
昨日の(文句は言わずグッと堪えて)お礼を言うと
「残りの日程、これから調整しますので、10時にもう一度
電話ください」との事、ガン・ホヤグ議員とも再調整して
くれると言われ、少しホッとしました。
9時に本田さんと会い、連絡状況を報告し、取り合えず
朝食を取る事にしました。
 マクドナルドやケンタッキーは無いのですが、
大衆ファーストフード店があり、
そこで、ハンバーガーを食べる事にしました。
とにかくビックサイズなハンバーガーです。
私は、「ゴリルタエ シュル」と言う肉うどんの定食を
たのみました。こちらもやたら大盛で半分も食べれ
ませんでした。
 そうこうしてる内に、約束の10時になり、恐る恐る
ダワさんに電話すると、午前11時に資源エネルギー省
3時に外務省、4時30分に国会の日程を調整して頂いて
ありました。随分気を揉みましたが、
霧がサーと晴れたようで、気分爽快
良い1日が待っている予感に包まれました。
(でも、昨日の事があるから油断大敵です。)
 早速、資源エネルギー省に伺うと、
受付にも連絡が届いていて、スイスイ奥へ通されました。
5分程待つと、大臣秘書官が来て、
大臣は直ぐ来るので、座って待つようにとの事でした。
待つ事3分、ルブサンワンダン・ボルト資源エネルギー大臣
が、お見えになりました。案外若く、
我々と同世代と思われる風貌でした。
日本の旗とモンゴルの旗をテーブルに置き、
大変歓待してくれました。これまでモンゴル国内における
国土調査の英字報告書を頂き、
日本の協力を歓迎するとおしゃってました。
 15年後、モンゴルはアジア最大の石油大国になる事を
予感させるに十分な感触を得ることができました。
(幸先いいぞー!)
 午後の日程は、また明日!

議会の様子を少し書き込みます。
 昨日書き込んだ通り、昨日は市政記念日でした。
 助川議長が、見えないなーと思っていたら、
タイ旅行(ゴルフツアー?)に行っているそうです。
最も重要な公務をさぼり旅行とは、けしからんと
怒っている議員もいました。助川議長が所属する
民主党鎌倉市議会議員団の岡田代表にも抗議が
寄せられたらしいのですが、岡田さんも何も聞いて
いなかったとの事、12月議会が俄に暗雲立ち込める
様相を呈してきました。
 助川議長は、2度目の議長ですが、1回目は任期
途中で交替しています。今回はどうなることやら・・・? 

投稿者 TAKAHASI_koji : 20:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月03日

タロワガ!?

 今日は、鎌倉市政施行66年の記念日で
市政功労者の表彰式に行ってきました。
(モンゴル通信3日目番外編をUP)

自治功労者として、議員を20年勤めた
嶋村速夫先輩と古屋嘉廣先輩が表彰を
受けられました。お二人とも元気でした。
 それにしても政施行50年を記念して美術館を
建設すると基金を創設し、現在約15億円程たまって
いるが、もう66年どうするのでしょうか?
私は、大規模な物を1つ造るより、
鎌倉らしく分棟形式で市内各所に5ケ所位造る方が
良いと思うのですが、やるなら早くやるべきです。

 さて、モンゴル通信ですが、3日目の番外編です。
役所回りの間、車の中で「何かモンゴル料理で、
えっ!と驚く様な物を食べさせてもらえますか?」と
本田さんが、言い出し、私はあまり気乗り
しなかったのですが、夜ホテルの部屋でその物を
頂く事にしました。
 荷物を置いて、会場にした本田さんの部屋に行くと
子犬の丸焼きの様な物が置いてあります。
見ただけで、オウェー!って感じですが、
残したら罰ゲームというので目を瞑ってたべました。
 これは、タロワガと言う野鼠の一種らしく、
モンゴルでは、おめでたい日に食べる
高級料理だそうで、皆さんばくばく食べていました。
 食べ終わった所で、本田さんと相談し、お礼に
納豆を食べさせて上げようと言うことになり、
早速、日本料理店「石庭」に皆さんを招待しました。
 1階の料亭は、満席でしたが、地下のクラブに料理を
運んでくれると言うので階段を降りると、そこは
高級カラオケボックスの様な作りになっていて
日本のカラオケもあり、接待の女の子もみな日本語が、
上手でした。取り合えずメニューを覗き込むと
ありました。目当ての納豆です。でもメニューは
鮪納豆でした。おまけに「もずく酢」と「梅干」も
注文しました。それだけでは、申し訳ないので
握りをおけで3つ注文しました。早速運ばれてきた
納豆ですが、においを嗅いで、十字をきっておりました。
見ていると、納豆を食べずに鮪だけ食べていたので
豆を食べろ!と言って無理やり食べさせました。
やはり「梅干」が一番人気でした。
儀式の後は、寿司をつまみながら
日本VSモンゴルのカラオケ大会です。
前の晩に行ったモンゴルの民族音楽のコンサートで
やっていたホーミ-(ユニクロのコマーシャルでやっている変な歌)
のまねをしたら、ホーミ-コージといわれ、大うけでした。
 騒ぎながらも、明日の日程が決まってないのを心配して
いたのは、私だけだったのでしょうか?
食事は一人3,000円程でしたが、モンゴル人の平均月収が、
1万円位ですから、やはり高級料亭ですね!
カラオケを熱唱しウッカもガブ飲し、
気分になってホテルにもどりました。シ・ア・ワ・セ!
続は、またあした。 バエルタエ (さようなら) 

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2005年10月31日

セン バイノー (今日は!)

 モンゴル通信2日目、10月25日水曜日です。

今日は、昨日遅かったのですが、7時に起きて
在日モンゴル大使館のジクジット代理大使に日程に
ついて電話しました。そうしたら外務省アジア局の
ダワさんに話してあるので、在モンゴル日本大使館に
連絡して調整するように言われ、早速日本大使館に
連絡すると、モンゴル側で調整すると聞いてますので、
ダワさんに直接連絡するようにと言われ、たらい回しに
唖然としました。それでも気を取り直してダワさんに
電話すると、大変流暢な日本語でこれから明日の日程を
決めますので、10時にもう一度電話下さい。と言われ
一息つきました。
 10時に連絡すると25日の午後2時に日本留学の経験がある
ガン・ホヤグ国会議員、午後5時に通産省のエンフ・ボルトさんと
面会できるよう調整してくれました。
 そしてその事を日本大使館に連絡すると、午前9時30分に
大使が我々と会って頂けるとのお話があり、25日の日程が、
途端に過密になってしまいました。
 翌日の日程が決まったので、まず腹ごしらえをしに町にでました。
その後、第二次世界大戦中、この地に抑留され死んでいった
英霊たちを追悼するために建立した慰霊碑と礼拝堂を
お参りに行きました。
 12,000人以上の軍人が捕虜となり、
その内1,500人が亡くなられたそうです。
 ウランバートルから約45分の所にあるのですが、
とても寒い場所でした。耳が千切れるかと思うほどで
皆さんも、それほど寒い所に抑留されていたのだなー!
とずくずく考えました。
 礼拝堂では、小泉総理がかつて厚生大臣だった頃
この場所をお参りに来たことを、残すべく写真が、
飾られていました。
 明日はいよいよ忙しくなります。続は又明日。 

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月29日

美しき日本の私

  本日、モンゴルから戻って参りました。
本田議員と二人の珍道中でしたが、実り有る
旅になったと思います。
旅日記については、毎日少しずつ書き込みます。
  

今日は、大雑把な感想についてでありますが、
1.空気が非常に悪いです。これは、主燃料が石炭のためと
 車の車検がないためです。
2.食べ物は、比較的日本人にはあっていると思いました。
 それでも主食が、肉なので、毎日毎日肉を食べていたので
 胃が、消化不良になってしまいました。
3.交通モラルがめちゃくちゃです。人も車も危ないです。
4.緑が、ほとんどありませんでした。
5.水が、大変不足しています。これが公衆衛生に致命的な
 影響を及ぼしています。
6.とにかく寒かったです。
こういう所に来ると、川端康成先生が、ノーベル文学賞受賞の
スピーチで話された「美しき日本の私」を思い出します。
そして、日本に生まれた幸せを噛み締めるのでした。
 それでもモンゴルとは、15年後日本にとって最も大切な
国になると、予感させるにたる旅でした。
 その論拠は又明日!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:29 | コメント (0) | トラックバック


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