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2005年11月30日

反省

  今朝の読売新聞に私が、学区審議会を
欠席した記事が、載りました。
  第4回目の学区審議会に関する件です。

  10月19日午前10時5分から10時15分の10分間開催されました。
何れの審議会も答申は、文案の最終確認をし、その場で、市長や教育長に
会長から手渡すのが、慣例であります。
  そうしたことから、学区審議会も答申は、慣例通りやるべきでは
と発議した所、総員の賛同により、慣例通り文案の最終確認と
教育長への答申書提出を行うこととなりました。
  その日にちを19日と第三回の審議会で決めたのですが、
日にちを間違えてしまい、担当職員から電話を頂いたのですが、
留守電となり、内容を確認して直ぐに、向かったのですが、
10分間という短い開催時間であったので、結局欠席となってしまいました。
  ことの経過は、こういう事であります。しかし、欠席は欠席
大いに反省し、今後このような失敗のないよう気を付けたいとおもっています。
皆さん申し訳ありませんでした。
  因みに、4回に渡り開催された学区審議会の議事録を
貼っておきます。特に第3目のA委員は私です。学区に関する
私の考え方もご覧頂ければ幸いです。

http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/gakumu/index.htm

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2005年11月29日

忙中閑あり

  ここの所、議長辞任に係るエントリーばかり
だったので、今日本田議員に少し配慮した方が
いいよと、アドバイスを頂きました。
  改めて振り返るとなるほど少々多い気もしたので
少し肩の力を抜いてティーサロンに書き込むことに
してみました。
      

最近読んだ本に「雑学大全(東京雑学研究会)」
というのがあります。沢山面白い話があったのですが、
  その中で、今日は一つだけお話しましょう。
  それは、アリの話です。

1.どうしてアリは1本線の行列を作れるのか?

アリは20種類のフェロモンを出し会話していて、特に
  その中で、「道しるべフェロモン」というのがあり、
  「この先にエサがあるぞ」と言う合図をだすそうです。
  そして、このフェロモンは同じ巣のアリだけに通じる
  ので、エサの奪い合いにはならないそうです。

 最近、人間のフェロモンを感じなくなって来ています。
 もう少し、感性を研ぎ澄ませなくては・・・

2.働きアリは、仕事のあとに一服いれている。

    イソップ物語の「アリとキリギリス」に代表されるように
  昔から、アリは働き者の代名詞とされています。
  しかし、オーストラリアに棲むニクアリは、晴天の日の
  夕方には巣穴からでてきて周辺で、意味無く触覚を
  振ったり、仲間とじゃれあったりする生態が確認されて
  いるそうです。因みに日本の黒アリも同様な
  生態を持っているそうです。
     又、ボルネオ島のトゲアリは、早朝、大シダの葉っぱ
  の上でじっとしているそうです。こちらは、仕事前に英気を
  養っているようなものでしょうか?アリにも怠けものがいる
  と言うことなのでしょうか?

人も休息が、必要ですよね!あまり忙しいと、時々ポカを
するときがありますからね!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:15 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月28日

余波!?

  中村総一郎議会運営委員会委員長(民主党)が、
本日、救急車で運ばれ緊急入院をしました。

心臓が急に苦しくなり、救急車を呼んだそうです。
  ここの所、助川議長のタイ、ゴルフ事件で、
心労が続いていたので、具合が悪くなったのでしょうか?
一日も早いご回復を心よりご祈念申し上げます。

  さて、助川議長辞任後の後任人事を決める
役員選考委員会でありますが、私も宣言通り議長候補に
エントリーしました。議長へのエントリーは、私の他は
白倉議員だけでした。
  断続的に委員長が、各会派を回り調整をしていますが、
まだ、先が見えてこない状況が続いています。
明日も午前9時から役員選考委員会が、開催されます。
今夜も断続的に話し合いが続けられる予定でしたが、
話し合いのため、残っていたのは、自民党だけでした。
岡田委員長も調整のしようがないとブツブツ言っていました。
だいぶ疲労が、顔に出ていました。お疲れさまです。

  因みに、残りの二役の選考は、副議長は藤田議員、
監査委員は野村議員お二人だけのエントリーでした。
これまでと変わらぬ顔ぶれであります。
  自民党は、助川議長の不祥事なので、副と監査は
代える必要はないのでは?と主張したのですが、
多数が、三役一緒の改選をとし、とばっちり改選と
なってしまいました。
  しかし、蓋を開ければ、同じ顔ぶれ、やっぱり
自民党の主張は、正しかったのではないでしょうか?
このままいけば、議長のみの話し合いであります。
どーなることやら、まな板の上の鯉であります。
(おわり)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:46 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月27日

石渡市長の市政報告会開催!

今日は、午後から石渡市長の市政報告会が
八幡宮の直会殿で開催されたので、出席して
きました。
  

未だ、1回目の議会すら開催されていないので、
市政報告というより、こんな考えで市政運営を進めて
参ります。と言う報告の会でした。
  不思議だったのは、辞表を提出した助川議長が、
いの一番に挨拶をし、この度の不祥事のお詫びを
言っていたことです。ここういうめでたい席は、
かえって欠席した方が、良かったのでは無いでしょうか?
何か、しーんとした気がしたのは、私だけでしょうか?

明日は、役員選考委員会が開催されます。
一連の流れを見ていて、自分なりによくよく考えました。
今こそ若い者が立ち上がる時との思いに達した。
結果を考えず、捨て身で、議長希望者に名乗りを
上げることを決断しました。
  失われた議会の信頼回復に一役買う事ができれば
幸いです。是非応援して下さい。(おわり)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:03 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月26日

サンスポにも議長の事件が!

  今日のサンケイスポーツ新聞を見ていたら
「公務休み海外でゴルフ・・・辞職願」
という見出しが目に飛び込んできました。

鎌倉市議会の助川邦男議長が、公務を休んで
海外にゴルフ旅行に出かけた責任を取り議長職の
辞職願いを副議長に提出した。
という内容のものでした。
  スポーツ新聞の全国版に出てしまい一気に
鎌倉市のイメージが地に落ちてしまいました。

  議会でも早速後任の議長選任の作業に入り
私も、役員選考委員会のメンバーとなりました。
  1回目の役員選考委員会が昨日夕方5時に開かれ
委員長と進め方を協議しました。
  委員長の人選が決るまで助川さんが、座長を
勤めました。そして、人選をどうするかの協議に入った時、
鎌倉同志会と共産党から慣例通り、最大会派の民主党で
やって下さいとの発議がありました。
  しかし、そのことに私は、疑義があったので、
「大変申し上げにくいのですが、今回の役員選考は、
助川議長の不祥により行われる事になったので、
言わば民主党としても責任を感じて頂きたいので、
今回は、民主党さんはご遠慮頂きたいのですが!」
と申し上げると、それに同調してくれたのは、
松尾議員一人だけでした。
  多数の意見に押され、多数決で民主党の岡田議員が、
役員選考委員会委員長に就任することになりました。
  その後、進め方の協議になったのですが、そこでも
注文をつけさせて頂きました。
「4月に選挙があり5月に助川議長が選任されたのですが、
その際、助川さんが役員選考委員会委員長をやり、
役員選考委員会は、議員すら非公開とし、議長となろう
とするものの職務に対する考え方も聞かず選任して
しまったことが、今回の事件に結びついていると言っても
過言では無いとおもいます。
そこで、今回は、そうした反省に基ずき、極力選考過程を
公開し、最終的には、立候補による選挙で議長を選任する
べきではないか!」と主張しました。
  結局、賛同してくれたのは、また、松尾議員一人でした。
それでも、粘った挙句、ポスト希望は、人数に見合った希望
までとし、会派で役職を取るのでは無く、希望者の名前を
明らかにして人選に入ることとしました。
  できれば、考え方を聞く会を開催し、
その後、投票に入るのが、望ましいと言ったのですが、
これはまた、却下されてしまいました。
  そして、任期についての協議になったので、
この委員会にはそれを決める権限は無いので、
代表者会議に諮って貰いたいと、申し入れた所、
6時30分頃になっていたのですが、直ちに代表者会議が
召集され、残任期間を任期とすることが、確認されました。
  最後に、来週月曜日、午前9時30分までに希望表を
岡田委員長に提出し、10時から役員選考委員会を再開
することを確認し、終了しました。
  今回の事件で地に落ちた、議会への信頼回復は、
こんなことでできるのでしょうか?
  すごくストレスの溜まった時間でした。
あっー疲れた!疲れた! (おわり)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:57 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月25日

私のマンション大丈夫?続編

  過日、エントリーした私の「マンション大丈夫?」
を見て、建築指導課の職員が飛んできました。
前日に話をして書いたのですが、大きな勘違い
をしていたようです。
  

今回の事件は、施主や建築会社が、
姉歯建築設計事務所に設計を依頼し、
コストを大幅に下げる依頼をした。
そこで、構造計算書を操作して
耐震性があるように見せ掛け、
鉄筋量を減らしコストを下げた。
というのが大筋の話しであります。
  その一連の作業の中で、施主と
建築施工会社が、姉歯建築設計事務所に
対し、コストダウンができなければ、
設計事務所を代えると脅され、仕事が無くなり
食べて行けなくなると思い、犯行に及んだと
供述しています。更に犯行がばれないよう
建築確認をする際、役所に提出せず、
民間の建築確認会社で行う事を決め
更に確認の際、チェックの甘い会社を
捜し、今回の事件でも登場する、
民間建築確認会社のイーホームズに
白羽の矢を立てたのであります。
  その作戦は、まんまとはまり、上手く
行っていたのですが、悪い事は続きません。
結局発覚し、今回の事件へと発展したのです。

  ここで、前回エントリ-の訂正ですが、
鎌倉市内にこの事件に係るマンション業者が
5ケ所建築していると書いたのですが、
実は、民間建築確認会社イーホームズが
審査したマンションが5ケ所あるの間違いでした。
訂正して、お詫びいたします。

  しかし、民間建築確認会社イーホームズの
審査が、甘い事は事実で、もしマンションが地震で
倒壊したら、近隣周辺にも大変な被害が発生します。
やはり、行政として構造計算書の提出を求め
再チェックすべきとおもいますが・・・?(おわり)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月24日

私のマンション大丈夫?

  マンションの構造計算をする際、耐震性の強度が
通常の28%程度で設計していたとして、
姉歯建築設計事務所が、国土交通省に事情聴収された。
  

  その際、建築コストをもっと下げれるよう工夫することを
指示され、できなければ、他の設計事務所に代えるとまで
言われ、仕方無く鉄筋の量を減らせるよう構造計算を
し直したと、供述していることがわかった。
  
  鎌倉市内では、姉歯建築設計事務所が設計した建築物
は一軒もないが、姉歯建築設計事務所に仕事を依頼していた
マンション業者の物件(この部分の記事は間違いで、
民間建築確認会社イーホームズが建築確認した物件)が、5ケ所ある。
  鎌倉市では、姉歯建築設計事務所が設計を
担当していないので、強度確認はしないと言っている。
  
  しかし、姉歯建築設計事務所の供述を考えると
  鎌倉市ももう一度、強度確認をして、安全宣言を
して市民の皆さんを安心させるべきでは!?(おわり)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:34 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月23日

やっぱゴルフはまずいです!

  助川議長辞任の記事を各紙大きく取り上げて
いました。
  

論調は、公務をゴルフで欠席と言うものと
公務をタイ旅行で欠席と言うものの二通り
ありました。後者は、まだまだ問題は、
出切って無いことを示唆しているように感じます。
  終わりは、次の始まりであり、又、終わりに向かう。
始まっては、終わる繰り返し、諸行無常であります。
  善悪では、量り切れないものも沢山あります。
  されど、議員となったからには、青雲の志を持ち続け
常に、市民の皆様の奉仕者として、己を捨てて
取り組んで行きたいものであります。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:21 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月22日

7ケ月で議長辞任!

本日議会運営委員会が、開催され、
議長が、公務を欠席し、タイにゴルフ旅行に
行っていた件で、協議が行われました。
  

冒頭議長から、陳謝の言葉と責任を取る
旨の話があり、その後、議長除籍
(関係議員は審査に参加できない)で議論が
行われましたが、結局議長所属会派の考えで
議長に、辞職を申し入れ、議長もこれを了承
したことで、25日の代表者会議で今後の後任
人事を決定する日程の話会いを持つことで合意に
達しました。
  しかし、その報告の後、副議長から、副議長も
監査も三役として同時に選考されやってきたので
同じく、辞任したい旨、申し出があり了承されました。
  結局、議長の不始末で、関係のない副議長と
監査委員の二人を巻き込み、三役総辞職と言う
結末になりました。
  こういう件では、いつも市民感情を最も多く
受け止め、厳しく対応していた共産党が、
この程度で、議長を辞めることは無いと、
公言していました。タイにゴルフに行く事が
この程度と思う、共産党の程度が知れる、
衝撃的な発言でした。
  いずれにしても、12月議会は、波乱の
幕開けとなります。あといくつ山越せば、
今年が、終わるのでしょう。占ってみましょう。
3つ・・・こんなん出ましたけど!
どうなることやら?(おわり)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月20日

子供の絵は素晴らしい!

今日は、MOA美術館神奈川県児童作品展の
表彰式に行ってきました。
  

一応私は、大会役員として、表彰状の
プレゼンテーターを仰せつかったのですが、
どの子の絵も画面一杯に沢山の色を使い
大変上手に描かれているのに驚きました。
  私が、お手伝いしている鎌倉児童作品展からも
審査の結果、最優秀賞を除く、上位20点の出展を
したのですが、県下全域より、約170点の応募が
ありました。その内40点が入賞となりました。
  そして、入賞作品の内、14点が鎌倉会場からの
出展者の子供達で、嬉しかったです。
  もう一つ驚いたのは、同僚議員の石川さんの
お嬢さん真悠ちゃんが描いた
「テーブルのまわりのにぎやかな仲間たち」が
努力賞を受賞されていました。
終わってから石川議員が、わざわざ声を掛けてく
れたので分かったのですが、
本当におめでとうございました。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月19日

街で噂の事件!

今日、鎌倉駅で知り合いに会いコーヒーをすすりながら
話をしました。その方は、大船観音の前のマンションについて
とても興味があるらしく、神奈川県の開発審査会の議事録を
見て、大変怒っていました。

また、その開発を巡り、
告発があった事もご存知で、不起訴処分になったものの、
とんでもないと怒り覚めやらぬ状態でした。
  当の告発されたものが、議長をやること自体君達が
だらしないと、今度はその矛先がこっちに向かって来ました。
  そして、議長が公務をさぼりタイにゴルフに行った話題にも
触れ、とんでもないと、怒りは頂点を極めました。
  「我々は、冷静に、この問題に対処しなければならず、
議長や民主党の態度をよく見極めて、的確な行動を
取りたいと思います。暫く様子を見る時間を下さい。」と話ました。
  又、その方は、誰と行っていたのか?
はっきりさせろ!と厳しく言っておられました。
個人情報でもありますので・・・と答えはしましたが
  また、また、指定管理者の選考についても話題となり
芸術文化振興財団の久保田理事長が、財団の財政を
理由に辞任した。との情報だよ。と言われ
驚きました。本当でしょうか?月曜日調べてみましょう?
助役も議長人事なのでは?とか庁内の噂に実に詳しく
私も舌を巻いてしまいました。
  12月議会を目前にきな臭い話ばかりで
どうなるのでしょうか?不安です!(おわり)

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:16 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月18日

ボジョレーヌーボ解禁!

  今日は、上大岡でお世話になっている、
小嶋先生のグループの皆さんと一緒に
レストラン「キッチン静」さんの、
ボジョレーヌーボパーティーに行って来ました。
  

大変口当たりがよく、私は1リットル位飲んで
しまいました。久し振りに酔っ払いました。
  4月の選挙以来、初めてお会いする方もあり
当時、上大岡からあちこちにお願いをして頂いた
話を伺い、恐縮してしまいました。
  しかし、皆さんも高位当選を喜んで下さり
益々、ワインが進んでしまいました。
  それにしても選挙の際は、
大変お世話になりありがとうございました。(感謝・合掌)
  お料理も美味しく気分良くボジョレーヌーボを
ガブ飲みした1日となりました。
たまには良いですよね!(おわり)
  

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:58 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月16日

なるほど石原知事は深いです!

昨日紀宮様の結婚式について書き込みましたが、
その際、石原知事の乾杯のご挨拶が不思議だった
ので、その真意を誰か教えてくださいと書きました所、
当日、私が見たニュースでは、割愛されていた
ご挨拶の部分を本日拝見し、フランスの哲学者
アンリ・ベルクソンの言葉を引用したことが、
分かりなるほど深いなと納得してしまいました。
 
  

アンリ・ベルクソンは1859年にフランスに
生まれました。1941年に没するまで、
哲学の研究に打ち込まれ、研究が評価される
と共にその文章が、実に美しかったとの事で
ノーベル文学賞も受賞されています。
  そして、ベルクソン最後の論文
「道徳と宗教の二源泉」の中で、この度
石原知事が、引用した「結婚も宗教も賭け・・・」
が、論ぜられています。
  内容が、「結婚」と「賭け」と言う通例引用
しない取り合わせをしかも皇族の方の婚儀に
話される勇気に脱帽です。
  更に興味深いのは、アンリ・ベルクソンが
ユダヤ人であったことです。
  皇室とユダヤの関係を暗に示唆する
深い配慮に満ちた、考えに考え抜いた
素晴らしい、味のあるご挨拶とただただ
関心するばかりです。

  紀宮様は、本日から黒田清子さんとして
都庁の一職員の伴侶として、普通の庶民生活が
スタートする訳ですが、心穏やかに、いつまでも
お幸せにお過ごし下さいますよう
心からご祈念申し上げます。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月15日

黒田清子様おめでとうございます!

今日は、皆様もテレビでご覧になられ
た事と思いますが、紀宮様と都庁の黒田さん
の結婚式でした。
  

実に爽やかなお二人に、ほのぼのして
しまいました。
  しかし、人生は色々、永い人生の内には
お互いの事が分からず、悩む事もおありに
なることでしょう。
そんな時は、お二人で協力して、
乗り越えて行って頂たいと思います。
  結婚式に引き続き、披露宴が開催され
その様子もニュースで拝見しました。
その際、石原慎太郎東京都知事が、
乾杯の大役をなされておられたのですが、
「これから益々幸せになるお二人の
賭けの配当のご相伴に授かりたい」
と実に不思議なご挨拶をされていました。
どうも、私のような者には、意味が理解
できませんでした。
(分かる方がおられたら誰か教えて下さい)
  いずれにしてもお目出度い一日でした。
何時までもおしあわせに!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月14日

えっ!議長が公務さぼってゴルフ!?

  今日は、朝から各派代表者会議と
議会運営委員会が開催されました。
  

各派代表者会議の中で、議長に関する
風評について、事実確認が行われました。

質問者:「ありえないと思うのですが、議長が、
     大切な市制記念日で挨拶をすると言う公務に
     出席せず、タイにゴルフに行っていた。
     との噂があるのですが、どうなんですか?」

議長:「ありえないとおっしゃいますが、その通りです。」

質問者:「それでは、公務よりプライベートを優先したのですね?」

議長:「その通りです。」

  概略上記の様なやりとりがありました。

  それを受け、その後行われた議会運営委員会で
我々議員を代表する立場の議長が、ゴルフで公務を
欠席したことは、問題であり、現に慎むべき行動である。
  そこで、直ちにこの問題を議題として取り上げて頂きたい
との発議がありました。

  しかし、鎌倉同志会より会派で相談させてほしとの
申し出があり、後日改めて協議することになりました。

  夕方小町通りを歩いていたら、知り合いに会い
この事件の事を聞かれました。情報の速さに
舌を巻きました。

  取り合えず、これから審議する旨をお話しましたが、
こういう事は、千里を走るんでしょうか?

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:20 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月13日

先生の思い出

  今日は、清掃Dayで浄明寺にあるつばき公園と
頼朝の墓の清掃でした。

つばき公園はいつも朝7時からなのに、
今日は誰も居ません。仕方ないので
そのまま頼朝の墓清掃に行きましたが、後から
聞いたら、11月から2月までは午前8時からになるそうで
間違えてしまいましたが、お陰で、頼朝の墓を3時間
たっぷりと清掃することが出来、少しずつしか
できなかった草刈を全部終わらせる事が出来ました。
  今度、頼朝の墓に寄られたら、階段左横を
見て下さい。驚く程綺麗になり、何倍も広くなりましたよ。

  午前中は、掃除でくたくた、ぼろぼろになりましたが、
少し休み、午後は、関東学院六浦高校の時の恩師の
葬儀が母校の礼拝堂あり行ってきました。

  亡くなられた先生は、大井人先生と言い、
牧師さんであり、聖書の学びで教鞭をとって
おられました。
  先生は、小学校から関東学院で学ばれ
大学では神学部(現在は無いが)をご選考され
最後は大学院までご卒業されました。
大学在学中は、応援団活動をしておられたそうです。
大学院終了後は、母校六浦小学校の聖書の先生を
なさり、その後、中学・高校の聖書の先生になられました。
享年66歳あまりにも若すぎる訃報に言葉を失いました。

  応援団をやっておられたので、背は小さかったのですが、
とにかく声の大きい先生で、私は運動部(バレー部)に所属して
いましたので、いつも声を掛けて下さいました。

  とてもやさしい先生でYMCAの活動の面倒も見ておられました。

     先生の思い出はいつまでも忘れません。
        天に召された先生のご冥福を、
             心からお祈り申しあげます。
                          アーメン

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:32 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月12日

中国油田開発と日本の国防

  今日は、母校、関東学院大学 土木同窓会の
第29回定期総会に行って来ました。

  

今年は、三浦半島支部が当番で準備をしたため
第一部は、防衛大学の開校祭に合わせ自衛隊の
活動状況についての講演を聴き
第二部で、三浦市にあるホテルマホロバマインズで
懇親会を行いました。

  実は、防衛大学での講演について、私に相談が
あったため、鎌倉防衛協力会の参与として
鎌倉市を担当する、自衛官藤沢募集案内所の
五十嵐所長さんに相談した所、快く協力を
お引き受け頂いたのですが、何分当日は、
開校祭の他に入試もあり、防衛大学側の受け入れが、
困難であるとの回答に困り果てました。

  しかし、五十嵐所長の英断で、藤沢募集案内所として
引き受けてくださり、講演も所長自ら
買って出ていただき、本日を迎える事が
できました。本当にありがとうございました。

  また、話の内容が、実に興味深い内容で、
大変好評だったので、概略だけ
書き込んでおきたいと思います。

  五十嵐所長は、「海猿」ではありませんが、
藤沢にこられる前、呉の海上自衛隊に所属し、
実際に艦隊勤務につき、東シナ海等の海域で
中国や韓国の不審船や潜水艦とのやり取りを
経験され、中国の脅威や日本の国防について
勉強され、実体験や調査報告書に基ずき、
多角的な状況分析についてお話頂きました。

  その中で、最も興味深かったのは、「春暁」
の油田開発にからむ考察でありました。

  中国の海底探査の技術力は相当なもので、
探査船は日本の3倍も揃えているし、
潜水艦による探査も行っているそうです。
  しかも、それが、日本の排他的経済水域内で
違法に行われているため、海上保安庁と
海上自衛隊が連携して手を打っているのだが、
法整備の問題もあり、なかなか、難しい対応を
強いられているとのこと。

  所長の感では、ほぼ日本の排他的経済水域内を
含め、東シナ海全域の調査は、終了しているだろう
とのことでした。

  そうした調査に基ずき、中国側の排他的経済水域は
沖縄近くまで、大陸棚が、延びているので、
日本が主張する中間線には応じられないと主張し、
「春暁」の油田開発を強行してきました。

  これまで日本は、中国に配慮し、東シナ海での
石油の採掘権をどの企業にも認めてきませんでしたが、
やっと思い越しを持ち上げたそうです。
  しかし、緊張が高まる事は、必死で憲法改正を
始めとする法整備が急がれる事は、論を待ちません。

  世界の原油埋蔵量は、あと44年で使い切って
しまうであろうとの考察がされています。
  その中で、最も埋蔵量を見込んでいるのが、
アラブ諸国であります。次ぎに続くのがイラクですが、
実は、東シナ海には、イラクを凌ぐ埋蔵量があると
言われています。

  今月には、「春暁」の天然ガス部門の創業が始まる
そうで、平和的且つ、将来を見据えた日本政府の対応
が望まれます。

  余談ではありますが、やはりモンゴルとの友好関係を
より強固なものにし、油田開発の協力体制を整え
一日も早く着手できるようする事が、
日本にとって、最も重要な進むべき道と確信しました。

  この他にも核問題や迎撃ミサイル問題、
米軍の再編整備の問題、日米安保の問題等々
興味深いお話を沢山して頂きました。

  一見平和に見える日本も、実は、色々な危機に
さらされている事を改めて確認する、良い機会に
なりましたし、また、自衛隊の重要性も再認識する
ことができました。

  これからも、問題意識を持って勉強して行こうと
心に誓いました。

  改めて、五十嵐所長さんありがとうございました。
                       (感謝・合掌)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:41 | コメント (0) | トラックバック

ささやかな幸せ

 今日は、久し振りに三人の子供達が、
夕方家に来ました。そこで、腕によりをかけ
夕食を作りました。

次男コスモの好きな
豚しゃぶサラダと
長女ジョイの好きな
挽肉入りオムレツのトマトケチャプかけと
豆腐と小松菜の味噌汁です。
  皆「おいしい、おいしい」と言って
ばくばく食べてくれました。

  長男モナミは、今年高校受験です。
長女ジョイもお兄ちゃん達と同じ
横浜国大の鎌倉小学校に行きたいと
言い出し、やはり受験するそうです。
  こんな大切な時期に、親が離婚し、
どれほど傷ついた事でしょう。
そういうことを思うと時々眠れなくなります。

  何もしてやれないけど、二人とも
頑張って、受かるよう毎日神様、仏様に
お願いしてますからね。

  それにしても、子供の成長って早いですね!
ジョイが、沢山食べるようになったのには、
我が子ながら驚きました。

  沢山食べて、栄養一杯取り、
よく遊び、沢山友達をつくり、
よく学び、しっかりと挨拶をし、
素直で嘘をつかない、
そんな子に育って貰いたいです。
  ちょっと欲張り過ぎかな?
どれか一つといえば素直で嘘をつかない子かな!

  夜家まで送りましたが、皆と過ごした数時間
ささやかな幸せを噛み締め、また、明日からも
頑張ろうと心に誓うのでした。

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2005年11月11日

頼朝縁の地訪問

  11月9日、10日の二日間、源頼朝会恒例の
頼朝縁の地訪問で静岡県静岡市丸子(まりこ)にある
誓願寺と静岡県駿東郡清水町にある八幡(やはた)神社
に行ってきました。
  

誓願寺は、1192年(イイクニ)源頼朝が、征夷大将軍
になり、鎌倉幕府を開幕すると同時に父義朝、母由良姫の
追善供養のため、建立しました。そして、頼朝自身が生まれた
場所が、熱田神宮境内にあった誓願寺であったため、
この寺に誓願寺と命名したと伝えられています。
  八幡神社は、1180年源頼朝が、平家追討の軍を興し、
富士川の合戦に望む際、本陣を造営した場所が、
ここ八幡神社境内でありました。
  そして、その際、はるばる奥州より駆けつけたのが
弟の義経であり、頼朝と義経は、兄弟でありながら、
その時初めて対面し、お互いに涙を流し、
平家打倒を誓い合ったそうです。
頼朝34才、義経22才、1180年10月21日の事でした。
  その対面を記念し、座った石を「対面石」と名付け
その横に自ら「ねじり柿」二本を植樹したそうです。
  源頼朝会では、毎年1回か2回「頼朝縁の地訪問」
として日本全国を見て歩きます。
今年は春に奈良東大寺に伺い、秋この度の訪問となりました。
  来年は、上記富士川の合戦に参戦しなかった佐竹一族
の縁を尋ね茨城県、日立や鹿島を訪問する予定です。
  興味のある方は、随時会員を募集しておりますので、
直接、小池時一会長にご連絡ください。
    住所:鎌倉市雪ノ下1-9-19
電話:0467-24-1776

この他に毎月第三水曜日 午後7時から
雪ノ下公会堂にて、小池時一会長講師のもと
鎌倉時代を中心とする歴史勉強会を開催して
おります。参加費は一回200円(資料代)です。
どなたでもご参加頂けます。
私も勉強させて頂いております。
皆様もどうぞご参加下さい。

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2005年11月10日

モンゴル憂国の志士達

 モンゴル通信5日目 10月28日金曜日 後編
モンゴル滞在最終日です。

29日の帰国ですが、
早朝7時のフライトのため、5時には
ボイントハ国際空港に行かなければならず、
29日は何もできません。
 通訳をしてくれたトヤさん、ニマさん、ホンゴロさん
そしてドライバーのお兄ちゃん達との最後の晩餐会も
予定していますが、昨日、ガン・ホヤグ議員に
お会いした際、ご紹介頂いたブリッジグループの
ダワ社長と午後4時にブリッジグループの本社で
面談することになりました。
 ダワ社長は、在日本モンゴル大使館の
ジクジット代理大使の外務省の後輩で、
ジクジットさんと同じ日本の信州大学の卒業生です。
今から10数年前、日本からのODAをどの分野で
活用するか研究した結果、カシミアの紡績工場を
建設することとなり、同時にその紡績技術を日本で
学ぶことになり、一番最初に留学したのが、
ジクジットさんで、二番目がダワ社長だったそうです。
ちなみに、繊維に関する学科がある国立大学は、
日本に二箇所しかなくそのうちの一箇所が、
信州大学なんだそうです。
 モンゴルに帰国後、留学経験者達は皆、
ゴビのカシミア工場で働いていたそうですが、
日本のODAの支援で発電所を建設することになり
先遣隊として現地調査にJAICAが、来たそうです。
しかし、通訳を介在したものの日本語が上手く相手に
伝わらず、困り果てた未、日本留学経験者が、
ゴビのカシミア工場にいる事を聞きつけダワさん達を
訪ねたそうです。
 ちょうど四人の留学経験者がいたのですが、
会社が、手伝う事の許可を出してくれなかったそうです。
 しかし、この手伝いは、モンゴルの国家として
重要な仕事と思い許可無しで手伝う事にしたそうですが、
案の定、5日後に会社に出勤すると、四人とも解雇されて
いたそうです。
 そして、仕方なく四人で始めた会社が、現在のブリッジグループ
となり、モンゴルでも5本の指に入る程の企業に成長したそうです。
 そして、痛快なのは、自分達をクビにした、ゴビのカシミア工場
の筆頭株主となり、現在は社長も専務もブリッジグループの人間が
勤める程になったそうです。
  ブリッジグループは、カシミア工場の他に、
いすずやアウディーの輸入総代理店、建設会社、温泉経営、
コンビニ経営、家具の製造、ガソリンスタンド経営、IT関連の会社の経営、
輸出・入の会社経営、サプリメント製造、等々
そして驚いたことには、過日行った日本料理店の「石庭」も
ブリッジグループの経営なんだそうです。
  会社の実情をとうして、現在のモンゴル経済や政治の実情について
詳しく説明してくれました。それ以外にも原油の採掘の件や
養蜂業の話にも花が咲き大変盛り上がりました。
  そして、後刻、夕食を一緒に取る約束し、一旦ホテルに戻りました。
  再び会った夕食の際も色んな話がでましたが、少々過激で書き込め無い
ねたばかりで、内容は割愛します。
  大変気が合ったのとダワ社長が私と同じ年であった事もあり、
お互いこれからもずーっと、情報交換して行きましょう。
と硬く握手を交わし別れました。
  私達の現地スタッフのメンバーも一緒に会食したのですが
会食後、ホテルに戻り、本田さんの部屋で最後の
お別れ会をしました。ウオッカでお別れの乾杯をし、
思い出を語っているうちに、シュールな気持ちになり、
涙がウルウルきました。

  わたしのモンゴルの家族へ
    さようならは言いません
      ごきげんよう、また、会う日まで・・・  (終わり)

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2005年11月09日

1986 私のマリリン ありがとう サヨウナラ

11月6日日曜日 歌手で女優の本田美奈子さんが
急性骨髄性白血病で、急逝した。

  同世代のスターアイドルが又一人星になった。
本田美奈子さんは1967年東京葛飾柴又生まれの
38歳だった。(生まれは寅さんと一緒だね)
私の青春の1ページにある「1986年のマリリン」は
ジーンズのホットパンツを穿き腰をくねらせ
「マリリーン」と悩殺的に歌い上げる歌手で憧れでした。
その後は、アイドルを脱し、
「ミス サイゴン」や「レ・ミゼラブル」でミュージカルに
挑戦し、大変な評価をされました。
昨日、朝食を食べながらニュースを見ていると
生前の美奈子ちゃんが、闘病中のベット上でインタビューに
応え、「徳光さんがミュージカルを見て下さり、テレビ番組の
収録後、客席に向かい「この本田美奈子はもうアイドルでは
ありません。とても成長しました。
是非ミュージカルを見てあげて下さい」と呼びかけて
くれた事を思い出し、病床で何度も泣いた」と語り、
「早く元気になってまた、ステージで歌いたい」と話している
テープと共に、BGMに美奈子ちゃんが歌う
「アメージング グレース」が流れているのを見て
私は涙が止まりませんでした。
美人薄命と言いますが、あまりにも短過ぎる人生に
絶句です。
私のマリリン ありがとう サ・ヨ・ウ・ナ・ラ

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2005年11月08日

お母さんのおしっこは万能薬!?

 モンゴル通信5日目 10月28日金曜日 中編
テルリジ地方にゲル(テント住宅)ツアーに出かけました。

待望のゲルで朝食を取りベットに横になっていると
急に太ももが攣ってしまい、七転八倒していると
本田さんが意地悪にもベットから落とそうとして
ついには、両足が攣ってしまい死ぬ思いを
した後で、聞いたモンゴルの風習にビックリです。
 モンゴルでは、子供の頃、母親の尿を飲ませる
そうです。これは、父親ではだめで何にでも効く
万能薬で、小学校へも水筒に入れて持って行く
程だそうで、朝一番の尿が特に効くそうです。
 私でもぜったい効くから、自分の母親に尿を
貰って飲んでみろと頻りに勧められましたが、
頼める訳なし、仮に貰っても飲むのに大変勇気が
いりますよね!
他にもモンゴルの風習やしきたり、諺に至るまで
話題となり、実に楽しい時間を過ごしました。
 そうこうしてる内に、昼食の時間です。
 昼食はゲルを経営しているホテルのレストランに
注文しておいたホルホグと言う肉料理です。
乳搾りをするミルクタンクに熱く焼いた石を入れ
その上から羊の肉と塩を入れ焚き火で焼き上げる
料理です。食べる前に熱い石がお皿に盛られて
出てきました。それをまず熱い蒸しタオルを持つ
ように左右の手で交互に持ちます。
これが、厳寒の地の暖の取り方であり健康増進法
だそうです。付けあわせにご飯とキャベツの酢漬けと
粉噴きいもと茹人参、ピーマンのピクルス、そして
スーティー ツアイ(塩味ミルクティー)です。
 お腹一杯になるほど詰め込み益々睡魔に襲われ
ましたが、夕方、ブリッジグループの社長さんに
会う約束をしていたので、早々にウランバートル
に向けて出発する事にしました。
 途中、馬とラクダを見つけて乗せて貰いましたが、
その後はノンストップでホテルまで直行です。
順調に辿り着いたのですが、何とホテルに着くと
結婚式が終わった所で、風船がいっぱい付いた車が
停まっていました。結婚式を見ると悪い事があると
言っていた今朝の話を思い出したりして・・・
 続きは、明後日に・・・
明日は、源頼朝会の一泊バス旅行です。
静岡の八幡神社と誓願寺に行ってきます。
帰りましたらまた報告いたします。
 本日は、ここまで

投稿者 TAKAHASI_koji : 20:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月07日

亀石、恐竜の化石、ゲル(テント家屋)ツアー

 モンゴル通信5日目 10月28日 金曜日 前編
 今日は、早朝7時に起きてテルリジ地方に
ゲル(テント家屋)体験ツアーに行って来ました。
 

滞在先の首都ウランバートルから30分もすれば、
風景は一変します。まだ薄暗い朝靄の中で、
ハザードランプを点けたままゆっくり走る20台位の
車の列を発見しました。何の列かと聞くと
お葬式だと教えてくれました。
 しかし、モンゴルではお葬式を目撃することは
とてもラッキーで、悪い事を死者が持って行って
くれる。と教えてくれました。その反面結婚式に
遭遇する事は、良い事を吸取られるので、
アンラッキーだと教えてくれました。
 日本とはまるで逆だと言って笑ってしまいました。
1時間も走った頃でしょうか、太陽が昇りつつある頃
車を停めて、皆で丘に登りました。丘の上には、
小石が積み上げられていました。これは何かと
聞くと、旅の安全祈願をするものだというのです。
我々も夫々小石を3つ持って、一つ投げ上げては
その周りを一周し、全部で三周して旅の安全祈願を
しました。因みに4周は縁起悪いそうです。
そういう所は、日本と一緒ですね。
 そうこうしてる内に、太陽が出てきました。
日の光りを体一杯に受けて良い日が始まる予感を
改めて体感し、再び車に乗り込みます。そして、暫く走ると
川に差し掛かりましたが、何とその川は凍っていました。
本当に寒いです。そこから程なく行くと、第一ポイントの
亀石です。高さ15メートルはあるでしょうか?
亀の甲羅と頭がはっきりと分かる、変わった形の大石です。
 そこから、また暫く行くと、テルノザウルスの大きな模型が
現れます。この付近で、恐竜の化石が出土したそうです。
そして、ホテルを出発からおよそ2時間、目的地である
ゲル(テント家屋)に到着しました。
  まず、一番最初に言われたのは注意事項です。
真ん中にある二本の柱の間は、神聖な場所なので、
通り抜けをしない様にとの事でした。
釜戸に薪をくべ暖かくなった所で、スーティーチャイ
という塩味のミルクティーが運ばれてきました。
早速、昨晩スーパーで買ったパンとソーセージ、キャビア
で朝食です。お腹も膨らみ、暖炉の暖かさとゲルの持つ
独特の隠れ家的包容力で眠くなってきました。ちょうど
ベットが4つあったので、その内の一つを占拠して横になりました。
 うとうとしながら皆の話を聞いていると
急に足のモモが攣ってしまいました。
そこえ持ってきて、本田さんがちょっかい出すものだから
両足が攣ってしまい地獄を見ましたが、暫くすると攣ったのも
治り、すっかり目も覚めてしまいましたので、
皆の話に加わることにしました。
 そしてその中で、とても興味深い話を聞くことができました。
 続は、また明日、バイヤルタエ(さようなら)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:21 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月06日

18才の少女の骨?

 モンゴル通信4日目 10月27日木曜日 番外編
ガン・ホヤグ議員との面談が5時15分頃終わったので、
買い物に寄る事にしました。
 (そこで目にしたものはなんと・・・)

骨董品屋に寄ると日本軍が持っていた日本刀やサーベルを
見せてくれました。他にも色々見せてくれたのですが、
その中で一番気になったのは、人骨で出来きた笛です。
しかも18才の少女だけしか使用しないというのです。
一番の理由は、音が良いからだそうです。
 もう一つの理由は、オンゴン(処女)だからだそうです。
 後から聞いたのですが、人骨笛(正式名はわかりませんが)
は、中国で製造されたそうで、モンゴル人の少女が、
中国に連れて行かれ、その子らの骨で作ったそうです?
(本当かな?)
そういう言い伝えのせいもあるのでしょう。
嫌いな国アンケートでは、いつも中国が一番だそうです。
ちなみに好きな国アンケートではいつも日本がダントツで
一番だそうです。
 さて、明日は、夕方まで楽しみにしていたテレルジ地方の
ゲル(テント家屋)ツアーです。朝7時出発です。
それでも今日は、今日、一日有意義な成果も上がり、気分上々です。
民族音楽やホーミーを聴きながら皆で夕食を取り、
その後、ディスコ(クラブ)に行きました。久し振りに若い人達に混ざり
いい汗を流しました。翌朝早いにも拘らず、ホテルへの帰館は、
深夜1時を回っていました。
 あーあ !  疲れた! 疲れた!この先の日程が思いやられます。
続は又明日! バエルタエ(さようなら)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:21 | コメント (0) | トラックバック

鎌倉市の福祉関連情報

鎌倉市の福祉関連情報をUPしました。

 鎌倉市の福祉情報

 http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/seikatuindex/life/fukushi/index.html

 鎌倉市の医療情報

 http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/seikatuindex/life/kenkou/index.html

 鎌倉市の保険情報

 http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/seikatuindex/life/kenkouhoken/index.html

 鎌倉市の年金情報

 http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/seikatuindex/life/kokuminnenkin/index.html

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世界遺産登録を目指すまち鎌倉

 世界遺産登録を目指すまち鎌倉の
情報(鎌倉市役所編)をUPしました。
 今後内容を充実させて行きます。

http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/sekaiisan/top.htm

投稿者 TAKAHASI_koji : 09:48 | コメント (0) | トラックバック

子育て関連情報です。

子育て関連情報(鎌倉市役所編)
をUPしました。
 これから少しずつ充実させていきます。

http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kosodate/index.htm

投稿者 TAKAHASI_koji : 09:41 | コメント (1) | トラックバック

鎌倉ゆかりの人物

 鎌倉ゆかりの人物(鎌倉市役所編)
をUPしました。
 これから少しずつ改良していきます。

http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/bunka/bunjinroku/index.html

投稿者 TAKAHASI_koji : 09:32 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月05日

小泉総理にエール!?

 セン バイノー (今日は)
モンゴル通信4日目、10月27日木曜日、後編です。
 午後1番は、3時に外務省です。


調整で色々お手伝い頂いた、
アジア局のエル・デネ・ダワさんとの面談です。
 受付に話をすると、ダワさんに電話をして下さり、
直ぐに中に通してくれました。
途中までダワさんが迎えに来てくださり、
応接室に案内してくれました。
 早速、今回ご面倒をお掛けした事に対する
お礼を申し上げ、これまでの成果報告を
させて頂きました。
 その後、ダワさんから話を伺ったのですが、
ダワさんは、モスクワ大学で日本語を勉強した
異色な経験の持ち主です。
それでも日本語は大変上手でした。
 ダワさんからは、主にモンゴルの政情についての
話を聞きました。まず、口をついてでたのが、
モンゴルには、小泉総理の様な
リーダーシップのある政治家がいない、と言うのです。
 そして、多くの議員は利権を貪り、
私欲に腐心し、ウランバートル(首都)の道路整備一つ
やらない。そんな政治家に私は頭を下げません。
とはっきり言ってました。
 年齢的には同世代ですが、こういう人がいれば
モンゴルも大丈夫だと再確認できた一瞬でした。
 人間と人間の本音トークに花が咲き、
時の過ぎるのも忘れ、日本の将来やモンゴルの将来
そして、15年後にはアジアで最も仲の良い国として
お互いやって行きましょう。と約束しました。
 最後にダワさんが政界に打って出る意志がある事を
確認し、その際は日本から応援に来ますよ。
と伝え、握手で別れました。
 次の約束は、昨日滑って会うことができなかった
国会議員のガン・ホヤグさんです。
 国会は、外務省から歩いて15分程ですが、
時間が押してしまい走って現場に向かいました。
 到着すると今日は、担当官が入り口で待って
いて下さり、実にスムーズに応接室まで案内して
頂きました。予算審査直前で、打ち合わせが
伸びているので少しお待ちください。
とのことでしたが、待つ事10分鶴瓶に似た風貌の
ガン・ホヤグ議員が現れました。
 ガン・ホヤグさんは、京都繊維大学の卒業で
日本語がとても上手です。
 我々が、モンゴルに来た主旨を話すと大変歓迎
してくれました。でも、歯医者さんのバスは、
私の選挙区を回してください。と冗談とも
本気とも取れる話があり、本田さんが、
「では、バスに三人の大きな写真を貼って走らせましょう。」
と冗談で切り替えしていました。
 最後に、ガン・ホヤグさんが設立した企業「ブリッジグループ」
(モンゴルでは5指に入る優良企業)の社長さんに
翌日面会できるよう手配して頂き、お別れしました。
 とても充実した一日でした。

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2005年11月04日

アジアの石油王?

 10月27日 木曜日 モンゴル通信4日目です。
不安な朝を迎えました。今日の日程はどうなるか・・・?

実は、モンゴルと日本はちょうど1時間の時差があります。
日本の方が、1時間早いのですが、
モンゴル時間の7時15分毎朝、NHKで
(唯一の日本語放送)「風のハルカ」を見て
私の1日がはじまります。(唯一ほっとする時間です。)
 8時30分祈りを込めて外務省のダワさんに電話しました。
何と電話が繋がったではありませんか!
昨日の(文句は言わずグッと堪えて)お礼を言うと
「残りの日程、これから調整しますので、10時にもう一度
電話ください」との事、ガン・ホヤグ議員とも再調整して
くれると言われ、少しホッとしました。
9時に本田さんと会い、連絡状況を報告し、取り合えず
朝食を取る事にしました。
 マクドナルドやケンタッキーは無いのですが、
大衆ファーストフード店があり、
そこで、ハンバーガーを食べる事にしました。
とにかくビックサイズなハンバーガーです。
私は、「ゴリルタエ シュル」と言う肉うどんの定食を
たのみました。こちらもやたら大盛で半分も食べれ
ませんでした。
 そうこうしてる内に、約束の10時になり、恐る恐る
ダワさんに電話すると、午前11時に資源エネルギー省
3時に外務省、4時30分に国会の日程を調整して頂いて
ありました。随分気を揉みましたが、
霧がサーと晴れたようで、気分爽快
良い1日が待っている予感に包まれました。
(でも、昨日の事があるから油断大敵です。)
 早速、資源エネルギー省に伺うと、
受付にも連絡が届いていて、スイスイ奥へ通されました。
5分程待つと、大臣秘書官が来て、
大臣は直ぐ来るので、座って待つようにとの事でした。
待つ事3分、ルブサンワンダン・ボルト資源エネルギー大臣
が、お見えになりました。案外若く、
我々と同世代と思われる風貌でした。
日本の旗とモンゴルの旗をテーブルに置き、
大変歓待してくれました。これまでモンゴル国内における
国土調査の英字報告書を頂き、
日本の協力を歓迎するとおしゃってました。
 15年後、モンゴルはアジア最大の石油大国になる事を
予感させるに十分な感触を得ることができました。
(幸先いいぞー!)
 午後の日程は、また明日!

議会の様子を少し書き込みます。
 昨日書き込んだ通り、昨日は市政記念日でした。
 助川議長が、見えないなーと思っていたら、
タイ旅行(ゴルフツアー?)に行っているそうです。
最も重要な公務をさぼり旅行とは、けしからんと
怒っている議員もいました。助川議長が所属する
民主党鎌倉市議会議員団の岡田代表にも抗議が
寄せられたらしいのですが、岡田さんも何も聞いて
いなかったとの事、12月議会が俄に暗雲立ち込める
様相を呈してきました。
 助川議長は、2度目の議長ですが、1回目は任期
途中で交替しています。今回はどうなることやら・・・? 

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2005年11月03日

タロワガ!?

 今日は、鎌倉市政施行66年の記念日で
市政功労者の表彰式に行ってきました。
(モンゴル通信3日目番外編をUP)

自治功労者として、議員を20年勤めた
嶋村速夫先輩と古屋嘉廣先輩が表彰を
受けられました。お二人とも元気でした。
 それにしても政施行50年を記念して美術館を
建設すると基金を創設し、現在約15億円程たまって
いるが、もう66年どうするのでしょうか?
私は、大規模な物を1つ造るより、
鎌倉らしく分棟形式で市内各所に5ケ所位造る方が
良いと思うのですが、やるなら早くやるべきです。

 さて、モンゴル通信ですが、3日目の番外編です。
役所回りの間、車の中で「何かモンゴル料理で、
えっ!と驚く様な物を食べさせてもらえますか?」と
本田さんが、言い出し、私はあまり気乗り
しなかったのですが、夜ホテルの部屋でその物を
頂く事にしました。
 荷物を置いて、会場にした本田さんの部屋に行くと
子犬の丸焼きの様な物が置いてあります。
見ただけで、オウェー!って感じですが、
残したら罰ゲームというので目を瞑ってたべました。
 これは、タロワガと言う野鼠の一種らしく、
モンゴルでは、おめでたい日に食べる
高級料理だそうで、皆さんばくばく食べていました。
 食べ終わった所で、本田さんと相談し、お礼に
納豆を食べさせて上げようと言うことになり、
早速、日本料理店「石庭」に皆さんを招待しました。
 1階の料亭は、満席でしたが、地下のクラブに料理を
運んでくれると言うので階段を降りると、そこは
高級カラオケボックスの様な作りになっていて
日本のカラオケもあり、接待の女の子もみな日本語が、
上手でした。取り合えずメニューを覗き込むと
ありました。目当ての納豆です。でもメニューは
鮪納豆でした。おまけに「もずく酢」と「梅干」も
注文しました。それだけでは、申し訳ないので
握りをおけで3つ注文しました。早速運ばれてきた
納豆ですが、においを嗅いで、十字をきっておりました。
見ていると、納豆を食べずに鮪だけ食べていたので
豆を食べろ!と言って無理やり食べさせました。
やはり「梅干」が一番人気でした。
儀式の後は、寿司をつまみながら
日本VSモンゴルのカラオケ大会です。
前の晩に行ったモンゴルの民族音楽のコンサートで
やっていたホーミ-(ユニクロのコマーシャルでやっている変な歌)
のまねをしたら、ホーミ-コージといわれ、大うけでした。
 騒ぎながらも、明日の日程が決まってないのを心配して
いたのは、私だけだったのでしょうか?
食事は一人3,000円程でしたが、モンゴル人の平均月収が、
1万円位ですから、やはり高級料亭ですね!
カラオケを熱唱しウッカもガブ飲し、
気分になってホテルにもどりました。シ・ア・ワ・セ!
続は、またあした。 バエルタエ (さようなら) 

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:19 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月02日

給食を食べに行こう!

 今日は、先週留守をしたので色々な打合せが
ありました。
 その中の一つに文教常任委員会が
今月21日に実施予定の深沢小学校、
学校見学と給食試食会の打合せがありました。
 (モンゴル通信3日目後編をUP)

議員の中に、きゅうりがだめな方、
おそばがだめな方、等々がおられ打合せに
苦労していました。
 最終的に当日のメニューは、
「鳥そぼろご飯、けんちん汁、牛乳、みかん」
になったそうです。けんちん汁に豆腐が、
入っているけど大丈夫か?とかさやえんどうも
入っているけど大丈夫か?とか話がありましたが、
これ以上、細かな注文を付けられないので
このまま実施することにしました。
 大人も好き嫌いや、アレルギーがあるのだから
子供たちはもっとあるでしょう?
これで4校目になりますが、当日よく見てこようと
思っています。

 さて、モンゴル通信3日目10月26日、後半です。
 いよいよ、現地の方との面談です。
一人目は、国会議員のガン・ホヤグさんと午後2時の
約束で、国会の受付に向かいました。午後2時に
秘書の方が迎えに出てるとの事でしたが、
誰もいません?守衛さんに通訳のトヤさんから
ガン・ホヤグ議員の部屋に連絡してくださいと
言ってもらったのですが、こちらに貴方達の名前が
届けられていないので、できません。
と断られてしまいました。
 流石もと共産主義の国だっただけあるなー!と
変に納得してしまいました。それでも気を取り直して
調整をお願いした外務省のダワさんに連絡したのですが、
ダワさんにも電話が繋がりません。
いよいよ困ってしまい日本大使館の小林さんに
助けを求めてしまいました。
私が、小林さんにかけた電話をそのまま守衛さんに
渡し、小林さんから直接事情を説明してもらいました。
 すると暫くして応接室に案内され、ほっと一息!
 しかし、また暫くするとガン・ホヤグ議員は、
面会の件を何も聞いて無く、今日は、
予定があり会えません。との事で・・・○×△!
どーなってるの?
 異国の地これ以上やりようが無いと
思ったのですが、もう一度、大使館の小林さんに連絡を
入れ、状況を話してみました。
すると「この国は、そうゆう事ってよくあるんですよね。」
との事、後の日程もあり不安のどん底に陥りましたが、
一先ず退散する事としました。
 次の予定は、午後5時に通産省です。
「この国の役所は、何時から何時までやってるんだ?」
と約束時間と日本の開庁時間を鑑み言い知れぬ
不安が、また襲って来ました。
 それでも一度、ホテルに戻り平静さを取り戻し、
再び仕切り直しです。
 今度は、トラブルを想定し、5時の約束でしたが、
4時45分には受付に着きました。
受付に声を掛けると今度は、やたらスムーズに
部屋に通されました。
待つ事5分、予定時間通り、エンフボルトさんがやってきました。
 エンフボルトさんは通産省の輸出入の責任者です。
 面談の目的は、排出ガス規制により運行を取りやめた
歯医診療用機材を積載した神奈川県歯科医師会のバスを
モンゴルで受け入れて頂くための
諸課題について話を伺う事でした。
 結論としては、たいした問題も無い事が分かりました。
それ以上に、モンゴルにとって良い話しなので、
積極的に協力をして頂ける事を約束して頂きました。
来年5月を目処に在日モンゴル大使館を
通じて協議を進める事を確認し、面談を終了しました。
 最初に大滑りしたので、おもいっきり不安になりましたが、
何か、一つ形になりそうな目処が付き肩の力が抜けました。
 しかし、明日以降の日程が決まっていない上に、
相変わらず外務省のダワさんには、連絡が取れません。
仕方ないので明日、一番で連絡を取る事に決め
今日一日の日程を終えることとしました。
 続きは、又明日 バイヤルタエ (さようなら)

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2005年11月01日

癒しの国

 今日は、伊豆大仁にある自然農法の農場見学と
熱海にあるMOA美術館で行われている、
エミール・ガレ展を見に行ってきました。
 

農場は、遠くに富士を望み周囲を山に囲まれ
大根、人参、ホウレン草、落花生、薩摩芋等の畑や、
花畑あり牧場ありおまけに足湯温泉ありと
日本が正に癒しの国であることをおもいっきり
体感した1日でした。
 空にも雲一つなく、空気の良さはモンゴルとは、
比べものにならない程、綺麗で全身が浄化された
気持ちになりました。
 ガレの展覧会も親日派であった彼がいかに
日本から影響を受け、それを作品にどう表現したか、
とても良くわかる展覧会でした。結構感動ものです。
 11月23日までやってます。
入場料は1,600円と少し高いですが、
みなさんも如何ですか?

 さて、モンゴル通信3日目です。
 10月26日水曜日、今日は朝、9時30分に
在モンゴル日本大使館に行って来ました。
 出迎えてくれたのは、モンゴル2回目とおっしゃる
参事官の小林弘之さんで、一緒に当田達夫大使の所
に案内してくれました。
 当田大使は、3年間モンゴル勤務をなさっておられ、
近く、ご退官なされるそうです。
奥様が、アフリカ支援のNGOに協力しているため、
EM菌による排水処理のシステムを鎌倉の業者が
やっていると聞き、鎌倉にこられたお話を伺いました。
 そして、元の使者たちのお墓が、常立寺にあることや
昨日、モンゴルに抑留されていた方達の慰霊碑に
行って来た話をしました。
そして、本日、ガン・ホヤグ議員と
通産省のエンフ・ボルトさんにお会いする主旨の
説明をさせて頂き、
緊急時には大使館のフォローをお約束頂きました。
 約1時間の面会でしたが、とても充実した時間でした。
大使館をあとにし、ブランチを取りいよいよ午後からは、
現地の方達との懇談です。
続は又明日バイヤルタエ(さようなら)

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:31 | コメント (0) | トラックバック


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