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2006年05月31日

モンゴル  4日目 パート2

   今日は、モンゴル財界人の大物、ダワ・ジャル・ガルさん
とブランチミーティングです。
   ダワさんは、もとモンゴル外務省の職員で、日本のODAで
造ったカシミア工場の技術者になるため、国立信州大学の繊維学科に
国費留学していたため、日本語はペラペラです。
   前回モンゴルに行った時、面会した親日国会議員のガン・ホヤグさんの
紹介で面会したのですが、実はダワさんの前任の社長が、ガン・ホヤグさん
でした。
   前述のカシミヤ工場で技術者として働いていた頃、カシミヤ工場の次に
日本がODAで支援して造るダムの建設に関し、地元交渉をする際、
採用した、通訳が日本語をあまり分からず、通訳できる人材を探していたそうです。
その時に、カシミヤ工場に日本留学経験者が、数人いるとの情報を
聞きつけ、ガン・ホヤグさんやダワさん達に助けを求めに来たそうです。
電気の供給は、最優先の国策と手伝うことを決意し、会社に相談したそうです。
   しかし、カシミア工場の社長が、頑固おやじで、許可を出してくれず、
結局社長を無視して、手伝い行き、4日後に会社に戻った時は、社席を消され、
首になっていたそうです。
   そこで、首になった4人で興したのが、現在のブリッジグループで
あります。今では自分達が首になったゴビというカシミア工場の筆頭株主に
なり、社長と常務にグループの人間を登用しているそうです。また、社業の
拡大も順調で、自動車販売、建設会社経営、マンション開発販売、飲食店経営、
カジノ経営、薬品会社経営、スーパー経営等々。
   そして、前回お会いした時、今後コンビニ展開を考えていて、是非日本の
セブンイレブンと一緒にやりたいので、力を貸して下さいとの依頼もありました。
帰国後、色々伝を探していると、同僚議員の渡辺君が、元セブンイレブンの
社員で、その時分の上司だった方が、現在、中国進出の責任者をやっている
との話を聞き、渡辺君を通し聞いて貰いました。
   しかし、基本戦略として、国民の平均月収が、2万5千円以上にならないと
店舗展開は、難しいとの回答で、現在、モンゴルの平均月収は、1万円程度で
まだまだ、飛躍的に月収が伸びることは、期待できる環境では無いため
当分難しいとのことでした。
   このことを伝えることが、ダワさんに会う目的でもありました。

   優雅に昼からビールを煽り、ウランバートルの街の景色を眺めていると、
本田さんがやって来ました。程なくダワさんも現れ、互いに握手で再開を喜びました。
ダワさんは、駄洒落が得意で、すぐにくだらない駄洒落を言いますが、これがまた、
座を和ませてくれるのです。会ったとたんに駄洒落の応酬で、楽しい楽しい
ブランチの会となりました。

   前日、ダワさんは、韓国ノムヒョン大統領の歓迎晩餐会に出席していたそうで
その時の話を沢山してくれました。
   今、モンゴルのGNPの25%以上は、韓国出稼ぎ組の仕送りだそうで、
韓国では不法滞在者の問題が、社会問題になっていると、大統領の口から
出たそうです。そして、その対策として、「モンゴル人ホイホイ作戦」を敢行し、
かなりの実績を挙げている。と話されたそうです。
   実は、アメリカ人が「Hi」と挨拶するようにモンゴル人は、「ホイ」とか「フイ」
と相手を呼んだり、声を掛けたりする風習があります。そこで、モンゴル人かな
と思ったら、後ろから「ホイ」と声を掛け振り返ったら職務質問を行いパスポート
を確認し、不法滞在か否かを調べ、かなりの数の不法滞在者の検挙に成功
したという話だそうです。
   しかし、日本の「ゴキブリホイホイ」に引っ掛けた話で、晩餐会のねたに
しては、失礼極まりない話だなーと思いました。
   他にも日本の資本でやっているエリンインターナショナルと言うモンゴルの
会社(日本ではダイナムというパチンコの会社です)が、旭鷲山と共同経営して
いたそうですが、その後金銭トラブルがあり、現在裁判中であるとか、
   日本のスルガコーポレーションが、やっている開発事業は、マンションを中心に
学校や病院も造る日本人街を造る開発である等々、話は、尽きませんでした。
今度会う時は日本で会うことを約束して、お別れをしました。

   お金の流れが、日本からモンゴルに誰を介して行っているか、
何の目的で行っているか、こういうコア情報を伺うことにより、モンゴルに
関する理解が、より立体的になって行く気がしました。
   楽しい旅は、まだまだ続きます。今日はこの辺で・・・
さようなら(バイヤルタエ)

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:56 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月30日

モンゴル通信  4日目

   毎日、遅くまでお酒を飲んでいるので、朝起きるのも
遅くなりがちですが、それでもきっちり、NHK朝の連ドラ「きらり」
が始まる時間の前には、起きます。
   モンゴルは、サマータイムがあり、4月から9月までは、
日本時間と全く時差がありません。10月から3月までは、
1時間遅くなりますが。
   ですから、この時期日本人にとって、時間的にとても
過ごし易いのが、モンゴルなのです。

   さて、今日は、モンゴル財界の大物、ダワ・ジャル・ガル
さんとブランチミーティングです。今ウランバートルで最も人気の
高い「アイリシュ・パブ」と言うお店で12時過ぎに待ち合わせです。
   私は、時間を持余し、本田さんより先にお店に行き、
一人で、昼間からビールを煽っておりました。
   前回行った時は、ウオッカを飲み過ぎて、胃が荒れ、食事が
思うように取れませんでしたから、今回は、ビールだけ飲むことに
しました。モンゴルでは、昔から乳製品は命を繋ぐ最も大切な食品
とされており、その乳製品の中で最も高級なものが、馬乳酒であった
ため、お酒は何でも大切で貴重な飲み物と認識されているそうです。
のんべの言い訳みたいですが・・・
   ですから、ビールの種類も実に豊富です。最もポピュラーなのが、
チンギスビールであります。次が、韓国のカスビールでバドワイザーや
ハイネケン等もありますが、日本のビールだけありません。何故だろう?
人口は、200万人(250万人と言われてもいる)で、横浜市の半分くらいしか
居ない国ですが、前述の理由から、お酒の消費量は、驚くべき量なので、
日本のビール業界もモンゴル進出をすると絶対に売れると思います。
   脱線ばかりしてますが、私は、いつも韓国のカスビールを飲んで
いました。アサヒスーパードライに似た、ライトビールであります。

   今日は、ダワさんとの歓談をお伝えするつもりが、横道の話が
長くなってしまいましたので、本編はまた明日!
(ザ マルガシ  オールジー  また明日お会いしましょう)


   

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:32 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月29日

モンゴル  3日目 パート2

   モンゴル3日目は、目的達成に向かっての重要な準備日でした。
午前中は、在モンゴル日本大使館の市橋大使に面会することができました。
   午後は、モンゴル政府外務省アジア局長のエル・デネ・ダワさんとの
面会です。午後2時の面会だったのですが、大雪のせいで、歩くのが
大変な上、傘も差してなかったので、忙しなく日本大使館から外務省への
移動となり、時間ギリギリになってしまい、とうとう昼飯抜きになって
しまいました。

   韓国ノムヒョン大統領を迎えたばかりで、準備に追われ外務省の
中も何か、慌しい雰囲気に包まれていました。

   そんな中、ダワさんは、我々のために時間を割いて、待っていて
下さいました。前回訪問した時もお会いして、お互いに国づくりを熱っぽく
語りあい、気が合うことを確認しあった仲でしたので、旧友に会うようで
再び、楽しい話に花が咲きました。

因みにダワさんは、モスクワ大学で日本語を専攻したのと
日本大使館勤務の経験があるので、日本語はペラペラです。

   さて、仕事の面でも在日本モンゴル大使館のジクジットさんから
連絡が入っており、ハラホリンのニャム・ドラムという女性市長と
打ち合わせを、済ましていて下さり。4日後の金曜日には、
ウランバートルまで、来てくれる段取りまでしていてくれました。
また、目的である都市間交流の件も伝えいてくださり、
先方も、大変喜んでいるとのお話に、我々も目的達成に対する実感がつかめ、
少し、ホット胸を撫で下ろしたのでした。

  しかし、その時は、それから始まる珍道中のことは、知る由もなかったのです。

  2時間程、話したでしょうか、明日の準備の打ち合わせが始まるとの
ことで、2日後に会食することを約束し、外務省を後にしました。

  翌日は、モンゴルで5本の指に入る企業、ブリッジグループの
ダワ・ジャル・ガルさんとランチミーティングです。

  この続きはまた明日!
 (ザ マルガーシ  オールジ また明日お会いしましょう)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:08 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月28日

自民党除名問題

   今年3月27日、私と本田議員に対し、自民党を除名に
するようにとの上申書が、鎌倉支部から県本部に提出されて
いた件が、ようやく決着しました。
   色々ご心配を、お掛け致しましたが、なんとか除名にならずに済みました。
但し、鎌倉支部の役職停止と議会活動における会派名の変更を
行うようにとのことでした。
   我々は、これを真摯に受け止め、幹事長采配に従うこととしました。

   我等が斉藤幹事長は、大船観音前マンション問題についても
お調べ下さり、自ら石渡市長に我々の目の前で電話を掛け、
「家の自民党の議員の話をよく聞いてあげて下さい。」とお伝え頂いたり、
例え自民党が推薦した市長であったとしても、その政策論争として、
予算案に反対したことに対し、県連として、介入し、処分の対象とは、
致しません。と明言して下さいました。
   しかし、共産党と同じ書面にサインしたことは、不注意でしたね。
今後は、慎重にやってください。との注意を頂きました。
   その結果、党紀委員会に掛けられる事無く、役職停止処分で、
終えることが、できました。
   斉藤幹事長並びに、事情聴取に立ち会って下さった古澤幹事長代理、
竹内筆頭副幹事長に心から感謝申し上げます。
   以後、誤解を招かぬよう十分注意して活動して参る所存です。
ありがとうございました。(合掌)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:37 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月27日

モンゴル  3日目

   今日は、月曜日、目的に向かって段取りを付けなければ!
今回モンゴルに来た目的は、鎌倉と同じように800年前に
モンゴルの首都であったハラホリン(カラコルム)と市民同士の
交流を推進するべく、同地の状況の調査や市長さんに面会して
その意思を伝え、先方の意向をお伺いすることです。
   出発前に、在日本モンゴル大使館に伺いその旨を伝え
事前に先方へ打診して頂いているものの、現地での日程調整が
確定する前に、来てしまいましたので、どんな日程になるものか?
   そこで、まず在モンゴル日本大使館に伺い、協力要請を
行うことにしました。朝、連絡を入れると、事前に連絡を入れて
あったので、大使の時間を空けて待っていてくださいました。
   早速、午前11時に大雪の中、新大使、市橋さんを表敬訪問
しました。市橋大使は、以前もモンゴル大使館に勤務されたことが
あり、モンゴルのとてもよい理解者であると、会話からひしひしと
伝わってきました。
   「モンゴルのもっともいい所は、広大な大自然が残っている所で、
開発を急ぐ必要は全く無く、それよりも日々の生活の中で、日本が支援して
行かなければならないことが、いっぱいあります。」
と淡々とお話下さいました。その話を伺い私は、市橋大使という方は、
人間力豊かな立派な外交官だなーと思い、同じ日本人として、
少し誇らしくも感じました。
   また、私達が今回来た意図もご理解下さり、支援のお約束もして頂ました。
   滑り出しよくスタートすると、トントンとアポが取れるもので、次は、
モンゴル政府、外務省アジア局長のエル・ディン・ダワさんが、午後2時に
時間をとって下さいました。

   この続きは、また、明日!  ( ザ マルガシ オールジー )   

投稿者 TAKAHASI_koji : 09:15 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月26日

またまた違法行為が発覚!

   先日書き込みした臨時議会の件でありますが、
25日に判決文が、各議員に配られました。

   それを見て驚いたのですが、
「(前略)被告である公務員の市長の違法行為により・・・」
と言及されているではありませんか。

   岡本マンション開発の違法許可に続いて、2件目の違法行為を
公の機関(裁判所)から指摘されました。

   概要は、固定資産税の査定の仕方が間違っていたため、市民の
方に損害を与えたとのことです。

   当の市長は、「その土地は、昔、私のおじいさんの土地だったん
ですよ。でも、この裁判の決済私してました?」と担当部長に聞くありさまです。

   そんな認識ですから、自分自身が、裁判所から違法行為を行った張本人
として名指しで言及されていることすら気づいていない様子でした。

   こんな状況で臨時議会を開いて、議員を納得させ控訴する了解が
得られるのでしょうか?・・・?

投稿者 TAKAHASI_koji : 01:16 | コメント (0) | トラックバック

モンゴル通信 2日目

   昨日に続きモンゴル2日目です。
戦中、戦後を通じてモンゴルで強制労働させられた日本人が
彼の地で約千五百人亡くなり、その英霊達の慰霊のために
建立されたモニュメントにお参りに行った話を昨日お伝えしました。
   その後、モンゴルの民族音楽を聞かせてくれる「月ハウス」
と言うコンサートホールに行くことにしました。
   「ホーミー」と言う咽笛や「馬頭琴」と言うチェロの一種、
モンゴル三味線、モンゴル琴、モンゴル大正琴、等々の楽器で演奏を、
行うのですが、モンゴルでは、国策としてこの文化を守るため、
12歳から18歳まで全寮制で音楽の勉強を教える学校があります。
   そして、何箇所もこれらの楽器で演奏を聞かせる国立劇場が
あるのですが、1992年民主化以来、初めてできた株式会社の
コンサートホールが、「月ハウス」です。
   外見や内装、ステージの構成は、群を抜いています。しかし、
他の劇場は写真を撮っても無料なのに、「月ハウス」だけは、1枚5USドル
と異常に高いのが、玉に瑕であります。
   それでも、ビールを飲みながら久しぶりのコンサートを楽しみました。
コンサートの後は、韓国料理のバイキングレストランに行きました。
   モンゴルのDGPのうち、約30パーセントは、韓国出稼ぎ組の仕送り
によると言われる程、韓国とは密接な関係があり、韓国資本のレストランや
お店、企業が沢山あります。そして、5月9日には、韓国のノムヒョン大統領が
モンゴルを訪れ、国を挙げて、歓迎のレセプションが行われていました。
   我々は、交通規制で徒歩ですら、道路を横断できず、大変困りましたが・・・
   この続きは、また明日!(ザ マルガシ  オールジー)

投稿者 TAKAHASI_koji : 00:01 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月25日

モンゴル通信1

  セン バイノー(今日は)いよいよモンゴル通信が始まります。
まず、初日は、夕方7時頃の到着だったので、まず、ホテルに
チェックインした後、夕食にいきました。9時すぎまで明るいので
何か最初から、変な感じでした。
(因みに7月8月は、夜12時頃まで明るく
朝は4時過ぎに太陽が、出てくるそうです。)
12時過ぎまでビールを飲み翌日はおそめの活動を決め込み
眠りに着きました。 
  着いた翌日は、日曜日だったのでお役所関係は、お休みなので
日本人の戦没者慰霊モニュメントにお参りに行きました。
   入り口が分かりにくく前回も迷子になったのですが、
今回も迷子になってしまいました。
戦中、戦後を通じて捕虜として、シベリア抑留された日本兵が、
モンゴル政府の要請により、2万人貸し出され、国会議事堂や
国立大学等々主要公共施設の建設をする強制労働を強いられました。
厳寒の地での労働の中で約2千人の方が亡くなられました。
その英霊達の鎮魂のため、ご遺骨を日本に引き上げると
共にモンゴルに慰霊モニュメントを造りました。
   その場所は、ウランバートルの市街地から20分程の
所ですが、町中とは違い道路は土で、おまけにデコボコ、
ゲル(テント)生活者達の民家が立ち並び、
牛や馬、山羊や羊が放牧されている、長閑な風景の中、
小高い丘の上にあります。
   風が集まる慰霊モニュメントに本田議員の「海行かば」
の歌声が、響き渡り、歌詞を覚えていない私は、少し、
恥ずかしい感じがしました。それでも手を合わせ心から英霊の
鎮魂をお祈りさせていただきました。(合掌)
   私達が行ったのが5月7日だったのですが、その4日前、
5月3日に自民党武部幹事長が、この地を訪れ献花がしてありました。
続きはまた明日!(マルガシ  バイアルアエ)

   

投稿者 TAKAHASI_koji : 01:19 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月24日

ただいま戻りました

   モンゴル、沖縄(石垣島、西表島、竹富島)と視察に行き、
長い間、ブログをお休みしていましたが、視察報告をしながら
再開致します。また、宜しくお願い致します。
   所で、暫く留守にしている間に市役所は再びゴタゴタに
なっていたので驚きました。めったに無い、臨時議会まで
29日に予定されているでは、ありませんか!どーなって
いるのでしょうか?概容の説明は26日にして下さるそうですが・・・、
また、この件は、ご報告致します。

   明日からモンゴル通信をお伝えしますが、着いた翌日が、
大雪で帰る前日が、大雪でした。
モンゴルは、雨が少ない国なので、この時期に雨や雪が降ることを
大変喜んでいました。また、日本から雪を持ってきてくれた客人として
歓待されました。それではまた明日。(バイアルタエ)さようなら   

投稿者 TAKAHASI_koji : 15:10 | コメント (1) | トラックバック

2006年05月06日

セン バイノー (今日は ! )

   今日から、モンゴル、ハラホリンへ世界遺産と
市民交流都市の可能性を探る視察に行ってきます。
   17日には戻ります。暫くブログをお休みします。
戻りましたらモンゴル通信をお伝えします。
   昨年、ブッシュ大統領がモンゴルを訪れ、過日は、
武部自民党幹事長やノムヒョン韓国大統領が訪モンし、
来月は、小泉総理が、訪モン予定とのこと。
今、最も熱い国と言っても過言ではないでしょう。
   ホットなニュースをお届けしたいと思います。
どうぞご期待ください。

投稿者 TAKAHASI_koji : 00:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月05日

ご冥福をお祈り致します

   拝啓  T元部長様
風香り、新緑燃える季節となりました。
あなたが、天寿を全うし、天国へ旅たたれて1ケ月が
経ったでしょうか。
   今日、神奈川新聞に生前、あなたが手がけ育てた
鎌倉芸術館のことが、大きく記事に出ておりました。
   あなたの温厚なお人柄を思い出し、若造の頃、
色々とご指導頂いた事が、走馬灯のように思い出されました。
   人の終末の形は、色々あります。何れの場合であろうとも
誰しも、必ずその時を迎えます。そして、たぶん何れの方も
何がしかの思いを、残された者に託して、旅立つのではないでしょうか?
   今回、記事の論調は、小泉総理の聖域無き構造改革の一環で
公共施設を指定管理者制度を採用することにより、民間活力を
導入することにより、経費縮減をはかるとの政策は、上手く機能せず
被害が、拡大している。とのことでした。
   私は、政策そのものは各自治体の経費縮減額を見渡せば、
成功だったと思います。しかし、その導入の仕方、自治体の取り組み方
により、歪が発生している所もあると言うのが、正しい評価では
ないでしょうか。
   横須賀市は、横須賀芸術劇場を財団に匿名で委託する事を決めました。
しかし、鎌倉市は、鎌倉芸術館を財団に匿名で委託せず、かつて石渡市長が
勤務していたサントリーの関連会社であるサントリーパブリシティーサービスを
選考し、委託することに決めました。
   この決断と経緯が、一人の管理職を死に追いやったのであります。
首長職は、全ての最高責任者でありながら、ある意味孤独な仕事とも思います。
   そうした立場の中、今回のこの事件に対し、石渡市長が、どのような責任を感じ、
T元部長の思いを、どのように受け止め、今後運営して行くのか?
しっかりと、見定めさせて頂こうと思います。そして、そのことをT部長にいつか
ご報告させて頂こうと思っています。
   心静かにおやすみ下さい。ご冥福をお祈り致します。(合掌)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:40 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月01日

モンゴル大使館

   過日モンゴル関連記事をエントリーしたときも書き込み
しましたが、本年は、大モンゴル国建国800年の年であります。
   日本では、鎌倉時代でありました。ほぼヨーロッパ全域を
その支配下に置き、日本も軍門に入れるべく、2度に渡る元寇
もありました。
   時は、流れ、中国や旧ソビエトとの争いや友好を繰り返し
現在のモンゴルがある訳です。
   1992年、ロシアのペレストロイカにあわせて民主化を果たし
まだ、14年ですが、世界中でモンゴル人が活躍するようになってきました。
しかし、まだまだ、国力は発展途上であります。
   それでも、これから世界中の資本が集まりおおばけする国と
感じています。
   そこで、同じ時期に首都であった鎌倉とモンゴルのハラホルン
が、市民交流をすることにより、日モンの友好に寄与できると思います。
鎌倉は、これからですが、すでにハラホルンは、ユネスコの世界遺産に
登録されています。そこにも共通点があります。
   義経伝説として、チンギスハーンが、義経であったとの説もあり
興味深いこともあります。
   色々書きましたが、ハラホリンに受け入れ態勢が取れるか?
伺うために、今日、久し振りにモンゴル大使館に伺い、
レンツェンドー・ジクジット臨時代理大使に面会してきました。
   お元気そうで色々な話が、できてとても有意義でした。ハラホリン
へも連絡頂く、お約束をしてくださいました。
   ご報告が遅くなりましたが、今月6日から17日まで、モンゴル
ハラホリンに行って参ります。様々な交流ができる様調査してくるつもり
です。しばらく、ブログもお休みしますが、帰りましたらモンゴル通信を
お伝え致します。どうぞご期待ください。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:14 | コメント (0) | トラックバック


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