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2006年08月19日

モンゴル通信

    ハラホリンは、2004年「オルホン谷の考古・歴史的史跡」
として世界遺産に登録されています。歴史遺産が点在し、現在も
毎年、発掘調査が行われ、新たな発見による歴史の検証が
繰り返されています。
    
 

   それら点在する遺産の中にエルデニ・ゾーというお寺があります。
今回の旅では、時間が無く、寄れなかったのですが、前回5月に訪問した際、
立ち寄ってきましたので、少し書き込みをして置きたいと思います。
     エルデニ・ゾーは1586年、第3代皇帝グユク当時、
イルハ族のバダイハーンにより建立された、チベット密教、ラマ教のお寺であります。
エルデニ・ゾーとは、「宝の寺」と言う意味で、創建当時は、62の寺院を含み
500もの建物があり、1000人の僧侶が修行していたそうです。
     また、エルデニ・ゾーの外壁は、1辺400メートルの正方形で、「ストゥーパ」
と呼ばれる仏塔が、等間隔で108並び囲んでいます。108は人の煩悩の数を
表すと言われていますので、中に入る時は、既に煩悩が取り払われ、純真無垢な
心の状態になることを表しているのでしょうか?
     中に入ると中央に「ゾボルガン」と呼ばれる仏舎利塔、左に中国様式の
「三寺」、右側にチベット様式の「ラブラン寺」が建っています。
     そして、山門を入るとすぐの所に、石碑があり、その石碑に刻まれている
マークが、現在モンゴル国の国旗に使用されているものだそうです。
     最も興味深かったのは、古美術等が、売られているお店が、幾つかあり
中をのぞいていたら、チンギス・ハーンの肖像画が売られていました。
あたりまえでありますが、その肖像画のチンギス・ハーンは何も被っておらず
何とその頭髪は、侍のちょんまげそのものだったのであります。
やはり、チンギス・ハーンは、義経だったのでしょうか?・・・
     実は、エルデニ・ゾーのご住職にハラホリンのニャムドラム市長が
日本から議員が来るので、対応してほしいと依頼して下さっていたので
その後、大変なことになったのですが、この続きはまた明日
     ザ・マルガシ・オール・ジー(また明日お会いしましょう)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:45 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月18日

夏休みの宿題

   子供達の夏休みも残す所10日と少し、そろそろ
夏休みの宿題が、終わるか気にし出す頃であります。
   

   私が今でも思い出すのは、小学校6年生の自由研究
で「カビ」のことを取り上げたことです。
   なぜ、「カビ」に興味を持ったかすら忘れてしまいましたが
とても微小な生物なのに、とても神秘的なメカニズムを持っている
ことに大変驚いたのを記憶しています。
   そういえば、先日養老猛先生が新聞のコラムで、
「人間は、原子力爆弾は作ることができても、「カビ」一つ作ることが
できない。それほど、自然のメカニズムは、複雑かつ偉大なものであり
自然に対する畏敬の念を忘れてはならない。」と書かれておられ
ました。私も先生の仰る通りだと思います。
   この先、人間は自然界の一員として共生をし、何百年やって
いけるのでしょうか?将来を担う子供達の可能性を信じ、今、やるべき
ことを真剣に考えてみたいと思います。
   これが、私の夏休みの宿題・・・

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:56 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月17日

マルコ・ポーロ

   マルコ・ポーロ(1254.9.15~1324.1.8)といえば
「東方見聞録」の中で日本を「ジパング」黄金の島として紹介
したことで有名ですね。
   

   実は、マルコ・ポーロは17才の時、ベニスの商人であった
父親と共にモンゴル帝国の首都、カラコルム(現ハラホリン市)に
行き、皇帝フビライに「汗の外交官」として、かわいがられ17年間
使えていたのです。
   チンギス・ハーンを始め歴代皇帝がモンゴル人のヒーローで
あることは、当然でありますが、マルコ・ポーロもある意味モンゴル
を世界に広めた人物として、今でもモンゴル人の支持を受け
ヒーローの一人に数えられています。
   17年間皇帝フビライに使えた後、マルコはベニスに戻りますが
ベニスとジェノバの海戦で捕虜となり投獄生活を余儀なくされます。
その時、獄中で知り合ったのが、ルスティケロという作家で、その彼が
マルコの話が、面白いと書き綴ったものが、後に「東方見聞録」として
世に出ることになった訳であります。
   しかし、マルコは日本を「ジパング」と紹介しながら日本を訪れた
ことはなかったそうです。
   それでも、ローマ教会の宣教師たちは未開の地の貴重な情報と
して、布教の際の参考に利用していたようです。また、アメリカを
発見したコロンブスもマルコの「東方見聞録」を見て、黄金を求めて
航海に出たそうです。
    その黄金の島の根拠は、平泉の中尊寺、金色堂にあるとも
言われており、チンギス・ハーン、義経伝説とあいまって、
私の好奇心はを触発してなりません。
    とにかく、モンゴルも日本もマルコ・ポーロによって始めて
世界に広く紹介されたと言う意味でとても不思議な縁を感じるので
あります。    
   また、この義経伝についても何時の日か言及してみたいと思います。
今日はここまで・・・
    バイヤルタエ(さようなら)
 

      

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月16日

終戦記念日に想う

   8月4日に高橋浩司後援会で国会見学会に行った後、
靖国神社を回ったことを先日書き込みしましたが、戦争で
亡くなられた英霊のご遺影や、家族に宛てた手紙や遺書を
拝見し、込み上げるものを押さえきれませんでした。
   そして改めって不戦と平和の誓いを心の中でお約束
しつつ戻って参った訳であります。
   

   その靖国神社に8月15日、昨日でありますが、小泉総理が
参拝したと言うので大騒ぎになっています。一つは、A級戦犯が
合祀されているのに何故一国を代表する総理大臣が参拝するのか
戦争で被害を受けた国家や民族の感情を配慮するべきだと
言う物と8月15日の終戦記念日に参拝することは、戦争を肯定
することになり、気に入らないと言うこともあるようです。
   韓国では、8月15日は戦勝記念日として国民の休日に
なっているそうです。
   しかし、この点だけを考えると、8月15日は日本にとっては
敗戦の日であり、無条件降伏を宣言した日でありますから、
正に戦争で犠牲になった方々の鎮魂を祈ることは、人の道であり
戦争被害を受けた近隣諸国や民族の方々の感情を考えても
おかしなことでは無いとおもうのですが、これが、開戦日に参拝
したというならば、言わずもがなであります。
   靖国参拝反対派の加藤紘一衆議院の家や事務所を右翼団体
の人が、放火したりと、火種は尽きませんが、今の平和を維持する
ことだけは、堅持していかなければなりません。
   終戦記念日を節目に改めて不戦を誓うものであります。(合掌)

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:25 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月15日

夏風邪は馬鹿がひく

   強行軍だったモンゴル旅行、
向こうは、日中35度以上あるのに、夜は、とても
寒かったです。そのせいか旅行中、鼻水を垂らし垂らし
何とか凌いでいたものの、日本に帰ってきた途端、その晩に39度の
高熱に魘され、ギブアップです。
   少し休養が必要みたいです。
皆さんもお気をつけて下さいね。

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月13日

モンゴル通信

   今回のモンゴル訪問の目的は、ハラホリン市からの
招待があったためですが、あいにく年度当初から8月4日に
後援会の国会見学会があったため、4日に行われたメインイベントの
ナーダムを見学することができませんでした。
   

   それでも先発隊として参加した本田議員は出席し、
エンフボルト大統領と一緒に記念写真を撮ったそうです。
   私は、5日の飛行機で成田からチンギスハーン国際空港に
向かい、午後7時に到着、その足で夜を徹して一路ハラホリン市に
向かいました。と言っても借り上げを頼んでおいたタクシーが故障し、
他の車を手配するのに手こずり、午後9時30分頃の出発となりました。
   そしてハラホリンに到着したのは、なんと朝7時を過ぎていました。
前回泊まった「アナル」と言うツーリストキャンプに本田議員が居ると
聞いていたので行ってみると、僅か2ケ月の間にその隣に平屋では
ありますが、立派なホテルが建っているではありませんか。
その玄関を見ると本田議員が、立って待っていてくれました。
   その日そこに宿泊すると思っていた私に、本田さんから11時に
ニャムドラム市長が、ホテルに迎えにきて、世界遺産のキョル・デギン碑を
見に行き、今日はその先の湖の畔に宿泊すると言われていると伝えられました。
少し睡眠を取ってゆっくりしたいと思っていたのですが、何とも慌しい旅です。
   取り急ぎ、本田さんの部屋のシャワーを借りて、頭を洗い、髭を剃り、
少しサッパリした所で、再び、旅の始まりです。
   モンゴルではウランバートルを除き、まともな舗装道路は無いため
何処に行くのもオフロードのダートコースであります。デコボコ道で
頭を窓にぶつけたり、腰を強打すること万度で、車が故障せず目的地まで
辿り着いてくれることを、只ひたすら神様にお祈りするばかりです。
   何処に行ってもこのような状況ですから、モンゴル人は、目的地に
何時頃着くと言うことは、弦を担ぎ言ってはいけないんだと教えてもらいました。
   それでも2時間も走った頃でしょうか、目的地の湖に到着しました。
早速、昼食です。持ってきたモンゴルハムとモンゴルのきゅうり
(日本のキュウリの3倍はあるでしょうか)、少し甘いのが特徴の
モンゴルマヨネーズと、スライスチーズ、それらを少々硬めのパンの上に
のせてモンゴリアンサンドのできあがりです。
美味しい空気と美しい景色と共に頬張りました。
   その後、本日の宿として、近くのツーリストキャンプを紹介してもらいました。
そこで夕食までの間、疲れを癒すため、つかの間の休息、
一眠りさせてもらいました。
   3時間程うとうとした頃だったでしょうか、夕食の支度が整ったと
わざわざ呼びに来てくれました。
   そして再び、キャンプ場所に戻ってできあがった料理を見てびっくり・・・!
   この続きは、また明日!
   ザ・マルガーシ・オールジ(また明日お会いしましょう)
   バイヤルタエ(さようなら)


投稿者 TAKAHASI_koji : 22:02 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月12日

コメント機能一時停止のお知らせ

   最近、当サイトの趣旨と無関係なコメントが大量に送信されてきており、
サイトの維持に支障をきたすようになりました。
   そこで当分の間コメント機能を停止することにいたします。
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投稿者 TAKAHASI_koji : 20:24 | コメント (0) | トラックバック

モンゴルで小泉総理にであっ・・・た

   センバイノー!(今日は)
お久し振りです。本日モンゴルから戻りました。
   

   今年モンゴルは、建国800年に当たり、
様々なイベントが、各地で行われています。
私は、ハラホリン市で行われたお祭りに招待を頂き
行ってきました。同じ時期にハラホリンでは、
世界モンゴル民族会議が行われており、日本からは
海部元総理が日本モンゴル協会の会長として出席して
いました。
   また、また同時期にウランバートルでは、佐久市から
気球が子供達にプレゼントされ、ここには、羽田元総理が
出席していました。
   この夏、なんと80人の国会議員が、モンゴルを訪問
しているそうで、在モンゴル日本大使館では、不眠不休の
対応に追われていました。
   中でもメインは、小泉総理の訪モンで、ちょうど総理が
到着した時、モンゴル国会前のスフバートル広場で歓迎式が
行われているのを目前にすることができました。
   遠い親戚ですが、とても誇らしく思いました。
   そして、総理は幾つかの約束をして駆け足で帰国されました。
その約束のうちの1つに、ハラホリンに博物館を建設する
というものがあり、できれば鎌倉の歴史のブースを設けて
ほしいと考えています。
   1週間だけど、色々なことがあったモンゴルの旅でした。
明日からまたモンゴル通信としてエントリ-していきます。
どうぞ、お楽しみに!バイヤルタエ!(さようなら)

投稿者 TAKAHASI_koji : 19:07 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月04日

国会見学会

   今日は、高橋浩司後援会主催の国会見学バスツアーに
行ってきました。大型バス2台、90名のご参加を頂、事故も無く
楽しい1日を過ごすことが、できました。
   

   準備に奔走し、本日も大汗をかいてお手伝い頂いた幹事の
皆さん本当にありがとうございました。
   国会の後、初めて靖国神社に伺ってきました。
特に、資料館である「遊就館」でご英霊の皆様の慰霊や特攻隊の
皆様の遺書や手紙を拝見し、思わず涙があふれてしまいました。
   お国のためと命を投げ打って戦った沢山のご英霊の方々の犠牲の
上に今の平和な日本があるのだと万感胸に迫り、感謝の気持ちで
一杯になりました。
そして、改めて不戦を誓い申し上げ戻ってまいりました。
   9月の自民党総裁選を控え、靖国神社への参拝問題やA級戦犯の
分祀問題等々が、報道を賑あわせていますが、これらへの見解は、
もうしばらく、研究してからしたいと思います。
   それにしても、勉強になった1日でした。
   ご参加頂いたみなさんありがとうございました。
   次回イベントは、10月4日鎌倉芸術館小ホールで行う予定の
ダンスパーティーです。開演時間は12時から17時ころの予定です。
参加費は、2千円です。こちらの方も是非奮ってご参加下さい。
   追伸:明日からモンゴル視察のため暫くお休み致します。
どうぞ宜しくお願いいたしましす。

投稿者 TAKAHASI_koji : 22:47 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月03日

モンゴル通信

   センバイノー!(今日は!)
ここの所、エントリーが滞りがちでしたが、久し振りのモンゴル通信です。
   

   実は、5月にハラホリン市と市民交流都市の提携ができないか
感触を探るため、モンゴルに行っていた件は、既にお知らせしましたが、
モンゴル国建国800年にあたる本年は、様々な催しが企画されています。
その1つにチンギスハーンの生まれた町からキャラバン隊が、何ヶ月も
町々を回りながら、ハラホリン市に向って進み、最後にモンゴル全土から
各部族の代表が、ハラホリン市に集結し、大きなお祭りを行います。
   現在、モンゴルの首都はウランバートルですが、本年ハラホリン市を
特別市に認定し、将来首都をハラホリン市に遷都する構想もあるそうで、
盛大なお祭りになることが、予想されます。
   そんな中、ハラホリン市のニャムドラム市長さんより、お祭りへの
参加を求める招待状を頂きました。
市民交流を促進するため、お伺いすることにしました。
   8月5日から8月12日までの予定です。
また、しばらくお休みしますが、帰国したら、モンゴル通信をお届けする
予定です。どうぞお楽しみに!
   追伸:ちょうど私がモンゴルにいる間に小泉首相が、モンゴルを訪れます。
少しでもお会いできないかとお願いしたのですが、片山虎之助参議院議員
等、国会議員も多数訪問しているそうですが、セキュリティーの関係から
誰とも面会する予定が、入れられなかったそうで、断られてしまいました。
   それでも実りあるものにしてきたいと思います。
   それでは、またお会いしましょう!

投稿者 TAKAHASI_koji : 23:43 | コメント (0) | トラックバック


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