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2006年08月17日

マルコ・ポーロ

   マルコ・ポーロ(1254.9.15~1324.1.8)といえば
「東方見聞録」の中で日本を「ジパング」黄金の島として紹介
したことで有名ですね。
   

   実は、マルコ・ポーロは17才の時、ベニスの商人であった
父親と共にモンゴル帝国の首都、カラコルム(現ハラホリン市)に
行き、皇帝フビライに「汗の外交官」として、かわいがられ17年間
使えていたのです。
   チンギス・ハーンを始め歴代皇帝がモンゴル人のヒーローで
あることは、当然でありますが、マルコ・ポーロもある意味モンゴル
を世界に広めた人物として、今でもモンゴル人の支持を受け
ヒーローの一人に数えられています。
   17年間皇帝フビライに使えた後、マルコはベニスに戻りますが
ベニスとジェノバの海戦で捕虜となり投獄生活を余儀なくされます。
その時、獄中で知り合ったのが、ルスティケロという作家で、その彼が
マルコの話が、面白いと書き綴ったものが、後に「東方見聞録」として
世に出ることになった訳であります。
   しかし、マルコは日本を「ジパング」と紹介しながら日本を訪れた
ことはなかったそうです。
   それでも、ローマ教会の宣教師たちは未開の地の貴重な情報と
して、布教の際の参考に利用していたようです。また、アメリカを
発見したコロンブスもマルコの「東方見聞録」を見て、黄金を求めて
航海に出たそうです。
    その黄金の島の根拠は、平泉の中尊寺、金色堂にあるとも
言われており、チンギス・ハーン、義経伝説とあいまって、
私の好奇心はを触発してなりません。
    とにかく、モンゴルも日本もマルコ・ポーロによって始めて
世界に広く紹介されたと言う意味でとても不思議な縁を感じるので
あります。    
   また、この義経伝についても何時の日か言及してみたいと思います。
今日はここまで・・・
    バイヤルタエ(さようなら)
 

      

投稿者 TAKAHASI_koji : 2006年08月17日 23:55

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